

人間は小説を読み終わった瞬間、どんな感想を抱くのか。
無論それは作品によっても、また読者によっても異なろうが、〈面白かった〉〈感動した〉といった褒詞の他には、〈泣けた〉〈ユーモラスだった〉などという感想が多いに違いない。
しかし私はいつも、葉室さんの作品を読み終わった瞬間、胸の中で呟く言葉がある。
それはいわゆる感想ではなく、
――ああ、美しいなあ。
という詠嘆である。
本作を紐解いてまず心に残るのは、〈ぎんぎんじょ〉、〈くのないように〉、〈牡丹の存ぜず候様に〉といった数々の言葉。さりながら葉室作品の美しさは、作中にちりばめられた言葉のみによって作り上げられたものではない。
登場人物たちの潤いに満ちた心の動き、その生き様……彼らの純真な精神は研ぎ澄まされた語句と混然一体となって、独自の世界を形成する。その澄み切った小説世界のあまりの美しさに、私は思わず感嘆の声を漏らしてしまうのだ。
『山桜記』は戦国時代から江戸初期にかけての九州各地を舞台に、武家社会の「妻」の生き方を描いた短編集。豊臣秀吉の命で朝鮮に渡った夫に恋文を送る妻、キリシタンとしての生き方を巡って、夫と哀しくすれ違う公家の女など、七組の「愛」の形がここにはある。
しかし愛と一口に言っても、その形は実に様々。ましてや戦乱の時代を生きた武家の夫婦ともなれば、御家騒動や相次ぐ戦、更には信仰などの外的要因により、その絆が揺らぐことも多かろう。
だが図らずも作中の一篇「ぎんぎんじょ」の中で、葉室氏はヒロインの姑・慶誾の口を借りて、「この世で夫婦のつながりほど強いものは、ほかにありませぬ」と語らせている。
「夫婦となると、もともと他人ゆえ心が通わねば共に暮らすのは無理でございましょう。いずれかが力を失うたからと見捨てるのは夫婦とは申せませぬ。ひたすら心の結びつきに頼って世の荒波を渡らねばならぬのですから、夫婦ほど強いつながりはないのです」
この逆説的とも言える夫婦観は、形のない信頼に依拠しているがゆえに、硬質の玉の如く美しい。そんなどんな世の荒波にも共に挑む男女の有り方こそ、本作において葉室氏が理想とした夫婦像と言えよう。
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