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漱石『夢十夜』か、鏡花『高野聖』か!? こんな危うい物語に出会うとは……。

漱石『夢十夜』か、鏡花『高野聖』か!? こんな危うい物語に出会うとは……。

文:姜 尚中 (東京大学名誉教授)

『界』(藤沢 周 著)

出典 : #文春文庫
ジャンル : #小説

『界』(藤沢 周 著)

 漱石ならば、きっと「因果」と呼ぶに違いない。いまを彷徨う魂は、見えない「因果」の糸に絡め取られるように、「界」に足を踏み入れ、その迷いと気まぐれさ故に、おどろおどろしくも官能的な世界を呼び寄せ、生と死の境目も定かではない「界」のあわいの中に一瞬、血漿の色に染め上げられた世界を垣間見るのである。

 その印象的な世界は、『界』の中でも私が最も好きな「界」、「宿根木(しゅくねぎ)」に凝縮されている。

 主人公は日本海に開かれた新潟出身のせいか──作者もまた新潟生まれだ──「宿根木」という「界」は、本作でも鬼気迫り、ハッと目を見開き、凍てついた全身を血潮が逆流していくようだった。

 日本海の大シケで窓を叩く波の花の音を聴きながら、小さな床屋の密室で艶の残る色白の女主人に髭を剃られたら、研ぎ澄まされた剃刀で喉元を一気に薙(な)いで欲しい。そして、身も心もエロスの絶頂で昇天させて欲しい。などとその気にさせるほど、「宿根木」という「界」は圧巻だ。

「もう戻れません……。何が起きても、あなた次第……。闇の中から、怨とも執着とも、あるいは恋慕とも、そんな言葉の境い目すら拒んだ想いが朧な輪郭となって、白く溶け出してくる。節木増(ふしぞう)の面……。照らしているのか、曇っているのか、どうなんだ……。女の気配がにおいのように近づいてきて、自分の頬に冷たい扇を潔いほどひたりとあててくる。夢ではない。俺は起きているだろう。そう思った時、一気に剃刀が首元を薙ぐ気がした」。『界』の中でもたまらなく好きなシーンである。

文春文庫
藤沢周

定価:715円(税込)発売日:2019年04月10日

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