それは、時間がまるで入れ子状態になり、過去の物語が別の遠い過去の物語に沁み入り、両者の界のあわいに現在という時間の界が重なり、読む者の想像力がみるみる増殖していくからに違いない。
例えば、「月岡(つきおか)」の鄙びた温泉宿の「硫「黄泉」」。
幼い頃の祖母との記憶の糸を辿りながら、主人公はやおら「黄泉」から伊邪那美と伊邪那岐の、禍々しい神話の世界へとスライドし、異性への妄執の悲しさに心打たれたかと思うと、現(うつつ)の世界の毒婦列伝へと舞い戻ってくるのである。
過去にも、さらに遡る過去にも、そして現在にもめくるめくほど繰り返される人間の愛と恨み、執念と業の深さ。家族を捨て、新しい女にも安らぎを見出せない萎れた主人公の作家……榊(さかき)。
それは、五十路を超えた男の迷いなのか、魂の彷徨なのか。それとも、凡庸な日常のありふれた世界を望みながらも、決してそこに安らぎを見出せない作家という生業の宿業なのか。
「惑うこと自体が始まりであってみれば、すでに分かりえた将来も、前世も、後世も同じようなものと、さらに絡み合い、互いを食(は)んでいるのだ。そして、自分もまた惑い暮れているようなものではないか」。
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