乳木を運び出す裏方の作業をやるにも、全員が口の中を清め、手も丁子を煮出した香水で洗い、顔には覆子という和紙で作ったマスクのようなものをつけています。いかに、八千枚護摩供というものがいつもの護摩焚きとは違う特別な秘法であるか、ということです。修行僧たちも、寺男の私も、厳粛な気持ちでお勤めさせていただかなければなりません。
「慈念さん、ご無理しないでください」
乳木にする栴檀を乾燥させて束にしたものを、積み重ねていると、西照さんが声をかけてきました。あの暴走族上がりの修行僧ですが、いつも色々と気を遣ってくれる優しい青年です。覆子を顎の下にやって、すでに額にはうっすらと汗が光っていました。
「いや、もう大丈夫です」
西照さんは私の坊主頭を覆っているネット包帯や、手の火傷痕などを気遣ってくれているようですが、作業するにはまったく問題ありません。
頭の火傷はまだ時々周期的にえぐるような痛みが押し寄せてきますが、右手の方は甲や掌に赤黒くくすんだ痕が残っただけで、傷が完治に向かっているのでしょう、むしろ痒いほどです。
私にはこの、何か地図で見るスカンジナビア半島みたいな火傷痕が、誰にも立ち入ることのできない伊能志保子さんとの間の、刻印にも思えるのです。頭やこめかみの方はⅡ度熱傷というものらしいですから、きっと一生消えない痕になるに違いありません。志保子さんが命がけで入れてくれた、刺青のようなものだとも思っている自分がいるのです。
「それにしても、あれですよね……、あの密息とかいう人……」と、修行僧の雲則さんが腰を屈めたまま振り返り、口元の白い和紙の覆子をモゴモゴと動かしています。
「泉明阿闍梨からうかがったんですけど……、なんか、病院でも、極度の心神喪失?とかみたいですね」
-
『赤毛のアン論』松本侑子・著
ただいまこちらの本をプレゼントしております。奮ってご応募ください。
応募期間 2024/11/20~2024/11/28 賞品 『赤毛のアン論』松本侑子・著 5名様 ※プレゼントの応募には、本の話メールマガジンの登録が必要です。