「じゃあな」
獅子丸はそう言うと、宿敵を追うべく虚空に身を躍らせた。
それは十二月の上旬に遡る。
「獅子丸がどこにいるかなんて、本人に訊いて下さいよ」
鳥辺野有はそう言って内線を切ると、椅子に全体重を預けて脱力した。主のいないオフィスだ。だらしない格好をしていても叱責する者はいない。
まったく、こんな面倒なことに巻き込まれるなら獅子丸の助手なんて引き受けるんじゃなかった。
有がパソコンの画面に視線を向け、開いたままのメーラーを見るとまた未読メールが増えていた。というか、この瞬間にも届き続けている。有はうんざりしてメーラーを閉じた。
目を瞑っても未読メールが押し寄せてくる錯覚からは逃れがたく、たまらなくなって有は仮想通貨の口座を確認した。
ここ最近の仮想通貨バブルのお陰で虎の子の数十万の元手で始めたのが、今や四百万円を突破していた。確認する度に価格が上がっているので、イライラした時は精神安定剤代わりに覗いてしまう。
はあー、クビになったらこれを売って食いつなげばいいか。
天親獅子丸の電撃引退宣言から一ヶ月、当人はあれ以来出社してこないし、有はその始末に追われっぱなしだった。取材依頼や問い合わせなどは毎日変わらずやってくるのだが、問題は獅子丸の引退について知っている人間が社内にまだほんの少ししかいないということだ。社外で他に知っているのは天親一族の人間ぐらいで、マスコミに嗅ぎつけられるのが怖くて可能な限り自宅とオフィスだけで過ごしていた。
「獅子丸君かて疲れることはあるやろ。だからせめて僕らが獅子丸君の帰れる場所を守っとかんと」
龍樹山風がそう言いながら極秘の休職手続きをしてくれた時、なんて理解のある人間だと思ったものだが……。
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