別冊文藝春秋

『あじゃりあじゃらか』藤沢周――立ち読み

文: 藤沢 周

電子版26号

「別冊文藝春秋 電子版26号」(文藝春秋 編)

「じゃ、刑事責任とかいうのを、問えないわけ? ひでえ話だよな、あんな火つけといて……。金堂まで、つうか、お山全体を焼こうとしてたって」

 晴源さんという修行僧も、乳木の束を両手に下げながら、白熱電灯の下で眉間の皺の影をゆがめていました。木欄色の作務衣の両肩から汗による湯気が、濛々と立ち上っています。

 私もわずかに顔をしかめながら覆子の下でうなずきましたが、海照阿闍梨が書院で話していた言葉が、耳の奥によみがえってもくるのです。

 ――あれは、密息のせいやないかも知れん。あいつは、何かを、覗いてしもたんや。密息自身の中かも知れんが……深淵をや。もう人間のどうにもならんもんを、覗いてしもうたんや……。

 私は乳木の束の端を掌で叩いて整え、また重ねました。これらを護摩焚きのおこなわれている金堂に運んだら、今度は束を解いて、護摩木台に丁寧に並べなければなりません。

「じゃ、無罪になって、あれか? 放免になるわけか?」

「いや、それは、病院行きだろう」

 また洞灯院の猛火の中で、全裸でうずくまっていた志保子さんが炎熱で揺らめいていた姿が浮かんできます。無我夢中で駆け寄った時に見た、志保子さんの般若のような、凄まじいほどの形相……。

 ――……おまえなど、行けッ!

 歯を剥き出し、涎を垂らしながら叫んだその声が、今でもはっきりと耳の奥に残っています。

 思わず反射的に体が震え、頭をかすかに横に振った時に、金堂の方から法螺貝の音が、一筋二筋と聞こえてきました。まだ暗い空を、鴉でしょうか、掠れた羽音をさせて過るのが分かりました。

別冊文藝春秋からうまれた本

別冊文藝春秋 電子版26号文藝春秋・編

発売日:2019年06月20日


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