初恋はいちばん不穏でよこしまな恋である――
十月末に刊行される『ファースト クラッシュ』は、山田氏真骨頂の芳醇な恋愛小説だ。
山田作品の熱烈な愛読者であるジェーン氏を迎え、恋愛小説の言葉のマジックについて、正しさの罠について、個人として生きることの大切さについて濃密に語り合う。
たくさんの小さなお作法
山田 『ファースト クラッシュ』が『文學界』に載ったとき、Twitterで感想をつぶやいてくださったんですよね。私自身はSNSをやっていないんだけれど、即座に編集者がメールで送ってくれて、二人でわーいって盛り上がったの。
ジェーン ちょうどサイン本をつくりに立ち寄った北海道の書店に『文學界』の新しい号が並んでいて。それまで文芸誌はほとんど読んだことがなかったんですけど、山田さんの名前を表紙に見つけて「あっ!」と思って買ったんです。それを帰りの飛行機で唸りながら読んで、興奮のままにつぶやいたという。まさかご本人まで届くと思っていなかったので、けっこう肝が冷えました(笑)。
じつは私、読書が本当に苦手でして。古典といわれるものさえほとんど読んでいないので、これまで恥ずかしくてお名前を挙げられなかったんですが、たぶん私がいちばん読んでるのは山田さんの本なんです。
山田 ほんとに? わあ、うれしい。
ジェーン 高校生から大学生、社会人になった初めの頃までに出たものは、ほぼ全部読んでいる状態でした。『120%COOOL』のあたり、『アニマル・ロジック』とか『4U』や『A2Z』までは、単行本が出たら即買いしていた記憶があります。
山田 ああ、そう。それは光栄。今はだいたい教科書に載っている作品から私のことを知ってくれるパターンが多いから。
ジェーン 私はそれこそオンタイムで読んでいました。『放課後の音符(キイノート)』が連載されていた『オリーブ』も読んでいる世代だったので。
山田 ああ、そうね。『オリーブ』の連載で読者層がちょっと変わったというか、広がったところはあるかも。
ジェーン 最初はとにかく憧れから入って。山田さんの小説って小さなお作法みたいなものをたくさん教えてくれるんですよね。アンクレットはストッキングの中にするとか。
山田 「高校生ぐらいの時に読みました」って言う子たちって、みんな「あのアンクレットが」って必ず言うの(笑)。素足になった時の効用がって。
ジェーン もう記号として記憶に刻まれてるんですよね。特に私はアメリカが大好きな子どもだったので、余計にそういうものに対する憧れが強かったんです。そのうちに、ままならぬことが世の中にはある、という感覚を山田さんの小説から教えられるようになって。あと、群れない女の子の潔さとかかっこよさ。そういう、現実の高校生にとっては背伸びにあたるような美学を学んだような気がします。当時はそれこそ必修みたいな感じで、出たら何も考えずに買うという流れができあがっていました。
小説だけじゃなく、「ポンちゃん」シリーズをはじめとするエッセイもずっと読んできて。
幻冬舎の見城徹さんと石原正康さんとプールに行って泳いだ話とか、工事現場の人に通りすがりにヒューヒューって口笛を吹かれたりする話とか、自分自身の世界の中に断片として組み込まれているような状態でした。私のなかではあくまで「ケンケン」であり「石原ちん」なんですよ。だから初めて石原さんにお会いしたときに、イメージと違ったのがショックで(笑)。「私が思っていた石原ちんはスーツなど着ていないのに」と勝手にしょんぼりした記憶があります。
山田 あはは、そういうふうに読まれる本ってなんか幸せな感じがする。
ジェーン (どら焼きを差し出しながら)ちなみにこれ、「うさぎや」というお店のものなんですが、本当はすあまを買ってきたかったんですよ。
山田 ……ああ! 『ラビット病』に出て来る?
ジェーン そう。「すあまのこども」という短篇に寄せて持ってこようと。あの話、さんざん可愛がったすあまを壁になげつける場面が最高に好きで。「うさぎや」で「すあま」って、これはもう今日買ってくるしかないなって思ったんですけど……私、今ちょっと気持ち悪い感じですね(笑)。
山田 ううん、うれしいです、いただきます(笑)。
何万人の中に二人がいた!
ジェーン 私はひとりっ子だったので、家に帰って誰かと遊ぶというよりは、ひとりでずっと音楽を聴いていることが多くて。ブラックミュージックが好きだったということもあり、ちょうどそのあたりの事情がグルグルグルッと重なって山田さんの小説にハマったんだと思います。当時、憧れが昂じて友達と横田基地に行ったこともあるんですよ。
山田 何年ぐらい? 会ってるんじゃない?
ジェーン 二十数年前ですね。NCOクラブというところに行きました。でも私の場合、音楽は好きだったんですけど、ファッションが全然追いついてなくて。最終的に車上荒らしに遭ってパスポートを盗られて肩を落としながら帰ってくるっていう。
山田 悲しい福生の思い出だね(笑)。
ジェーン そう。親にはファミレスの駐車場で盗られたって嘘をつきました(笑)。でもガチ勢の友達は、そこでちゃんと彼氏を見つけたり、アメリカに留学したり、現地で結婚して子どもを産んでという人も何人かいて。私は完全に傍観者でしたね。
山田 でも、そういうときに傍観者でいるタイプだから、きっと文章を書いてるんだと思うよ。
ジェーン ああ。真ん中にいなかったから。
山田 私もそういう子たちと基地の中でずっと遊んできてたけど、やっぱり俯瞰して見てる部分があった。帰ってから「男女の機微の復習のために、あの本読もう」とか思ったりとかね。
ジェーン 当時は横田によく行ってらっしゃったんですもんね。
山田 横田の基地の福生ゲートの真ん前に住んでた。
ジェーン じゃあ、横田のクラブに行ったりしていた。
山田 そうそう。そのあたりで遊び始めたのは二十歳ぐらいからかな。お母さんが基地の中でメイドさんをやってたりした地元の子たちにいろいろ連れて行ってもらったっていう感じ。でも、やっぱり基地のそばってちょっとハードルが高かったから、私たちは赤坂のムゲンとかに行ってた。
ジェーン そう、赤坂の話も覚えてます。ムゲンだったかは覚えていないけど、看板に「○○アンドファンキー」って書いてあって、それは文法がおかしいと思いながら帰ってきたって話があったような。そこはファンクのはずだって。そういう断片的なエピソードを心に留めながら、すごく真剣に読んでいました。
山田 面白いね。参考書みたいだね。
ジェーン 音楽にのめりこむにつれて「ああ、これ、デ・ラ・ソウルのアルバムジャケットが元ネタだな」といったこともパズルのピースが嵌まるみたいにわかっていったりして。そういうプロセスも楽しかったですね。
山田 ソウルミュージックに興味を持ったきっかけは何だったの?
ジェーン ちょうどジャネット・ジャクソンが80年代真ん中に『コントロール』を出して、世間一般の人にも認知されはじめたタイミングで。その後にボビー・ブラウンが出るんですよね。
山田 あの頃は真似する日本人の男を「ボビ男」とかって言ってたよね。
ジェーン そう。私、ボビー・ブラウンとカルロス・トシキ&オメガトライブのライブも行ってるんです。
山田 私もそれ行ってるんだよ。横浜アリーナでしょ?
ジェーン そうです。じゃあ同じときに同じ場所にいたんですね。
私自身はいかにも普通の高校生っぽい、白いポロシャツ姿で見に行ったんですけど、会場に着いたら、派手なパーマをかけたかっこいい女の人たちを見つけて興奮してしまって。浮かれた勢いで一緒に撮ってもらった写真がまだどこかにあります(笑)。
山田 あのときはカルロス・トシキに対して、みんな「これ邪魔」とか言ってたよね。ひどい(笑)。
ジェーン そう。あまりに酷で。カルロス・トシキ&オメガトライブのときはロビーにいた人たちが、ボビー・ブラウンが出てきてワーッと席に戻ってくるっていう。横浜でやったらこうなるに決まってるだろうにっていう結果になってましたね。
山田 組み合わせが悪すぎ。今になって私も失礼だと思った(笑)。でも、当時そこにいた何万人の中にこの二人がいたって考えると感慨深いものがあるね。
トラッシュ
発売日:2008年04月20日
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