小説の言葉のマジック
ジェーン 私はミネソタの大学に留学していたことがあるんです。当時、アフリカン・アメリカンの男性と付き合っていたのは完全に山田さんの影響だと思います。
山田 そうなんだ! その人、今どうしてるかね。
ジェーン 今は子供が四人いるみたいですね。なにしろFacebookという鬼門のおかげでそういう現況が全部わかってしまうという。
山田 うわぁ。私なんて、別れた男はみんなパラグアイだかウルグアイだかのアスンシオンというところにいることになってるの。そこは日本から公共の乗り物を使って行ける場所の中でいちばん遠いところだから、もう会うこともない(笑)。そこでタコスかなんかの屋台の太ったおばちゃんと結婚してるよ、お幸せに~とか思ってさ。
ジェーン なるほど。自分からいちばん遠いところに住まわせるんですね(笑)。
山田さんの恋愛小説って、自分が経験したことがないことばかり書かれているからこそ、強烈に惹かれるんですよ。でも、いきなり実践で役に立つかといったら、そうではない(笑)。むしろ失敗してからはじめて理解できるという。
山田 私が初めてサガンを読んだときもそうだった。『悲しみよこんにちは』の中に、別荘の階段のところに座って朝食代わりにオレンジをかじるシーンがあるの。私、それにすごく憧れちゃって。自分も階段のところでオレンジを食べるんだ!って思うんだけど、当時の日本にはみかんしかない(笑)。「それで、しかたなしにみかん食べたんだよ」って言ったら、別な女性作家も同じことをやったって言うんだよ。
ジェーン なるほど。われわれがアンクレットをストッキングの下に付けるのと同じですね(笑)。みんな必ずそういうことをやっている。
山田 そうそう。他にも、寝そべったまま砂をひとつかみして指の間から流し落としながら物思いに耽るシーンとかね。そこで「だって夏だもの」なんて書いてあると、「ああ、やっぱり夏は海だな。海が恋なんだ」って気持ちが盛り上がるじゃない。実際に日本の砂浜に行くと海の家からラーメンの匂いとかするわけだけども(笑)。
小説ってそういう言葉のマジックがあるでしょう。特に恋愛小説には顕著だと思う。そこにあるのが言語化された心象風景としての美しさで、恋がそれを創り上げていたんだとわかるのは、経験した後なんだよね。経験してはじめて「あ、あの人が書いてたのってこれのことなんだ」っていうのがわかる。その時に作家は、その恋に選ばれて読み手の特別になる。
ジェーン まさにそうですね。自分にとっては『トラッシュ』が男女関係というものの総復習だった気がします。あの小説はリックが死んでからが長いじゃないですか。最初に読んだときは、なんでリックが死んだところで終わらないんだろうって思ったし、そもそもリックが死んじゃうことがショックで受け入れがたかった。でも今読むと、リックが死んだ後にも人生が続く、ということがいちばんのリアルでした。その後に彼女の人生がどう進んでいくのか、周りの人たちがどう気持ちを耕していくかということなんだよな、と。
山田 『トラッシュ』は、亡くなった佐野洋子さんが「私だったら勝手にノーベル恋愛文学賞をあげちゃう」って言ってくれた作品なの。すごくうれしかったんだけど、実際にお会いしていろいろおしゃべりするようになってから、「この人、谷川俊太郎さんとかによっぽどひどい目に遭ったかな。身につまされてるんだわ」って勝手に思っちゃった(笑)。
初恋の激しさ、よこしまさ
ジェーン 『ファースト クラッシュ』は初恋がテーマではありますが、いつまた自分もこんなふうになるかわからないと思いながらぐいぐい読まされました。
山田 私、いちばん不穏でいやらしいのって純愛とか呼ばれるもの、やっぱりプラトニックなところの恋愛であり、初恋じゃないかと思ってるんです。心が発情期と連動しているぶん、いちばんよこしまで。だから激しいし、価値観を壊されやすい。
ジェーン 当たり前のことだけど、父親と母親だと思っている人たちにも「親」以外の顔があるんですよね。でも、それを見てしまう瞬間はものすごく切なくてやるせない。例えばこの作中のお父さんに関して言えば、愛人の子であるリキを引き取るという、あまりに即物的なやり方で、父親が「父親」だけの顔を持つわけではないということを家族にバーンとぶつけてくる。一方、お母さんに関しては、ゆっくりゆっくり少しずつ「母親」が溶けていって、最終的に「少女」が出てくる。そうやってリキという少年は、母と三姉妹、髙見澤家の女たちが全員それぞれに独立した女なんだっていうことを徹底的に知らしめていく。
山田 私はこういう家族であって家族ではない人間関係を描くのが好きなの。
ジェーン 特に女たちの中で、お母さんとリキがいちばん濃密な時間を過ごしているように見えるんですが、それって体感として非常によくわかるんですよ。世の中には年齢とか属性を取っ払った領域で女性と関係を編める男性というのがいて、だからこそ永遠にその人には勝てないという。咲也(さくや)の知ったかぶりの感じも素晴らしい(笑)。臆病であるがゆえに高飛車な態度に出てるんだけど、実はすごく鈍感で。
山田 そういう子の自意識って捨てておけないよね。
ジェーン 自分のことのように恥ずかしくなりましたね。咲也だけでなく、一人の男の子に対する三者三様の思い込みがそれぞれによくわかって、お尻がモゾモゾしました。
リキがどういう男なのか、女たちがそれぞれいろんな角度から光を当てていって、徐々にリキという像が構成されていく点も面白かったです。リキが激しい感情をぶつけるのは衆人の前ではなく一対一のときだけだから、彼がなにを感じているかは、対峙した人か覗き見していた人にしかわからないんです。それぞれが感じたイメージも少しずつずれていくから、最後の最後までリキが何を考えているのかわからない。すごく芳醇な気持ちになりました。
山田 あ、ほんと? ありがとう。
ジェーン 一方で、女たちがリキに寄せる感情にも、容易に言語化できない後ろ暗さがありますよね。「かわいそう」が「魅力的」とイコールになるということは、じつはかなり幼いうちから人間は気がつくと思うんですけど、それがやっぱりよこしまなことだというのも同時にわかっていて。
山田 そうなんだよね。だから余計に混乱して自制がきかなくなる。
ジェーン その感情をどう昇華させるのかっていうことなんだけど、ずるい人の場合は、わざとかわいそうな人にだけ施しをあげて優しい人のふりをしたり。『蝶々の纏足』はまさにそういう構図ですよね。そういう風にしか、他者と関係を紡げない。『ファースト クラッシュ』の三姉妹はギリギリのパワーバランスで踏みとどまっていると思いました。みんなそれぞれに打開を画策するものの、そのたびに打ち破れていく。
山田 S的なものとM的なものが交互に行き交って、反転したり、もう一回ひっくり返ったり、そういう感じで進んでいく人間関係が私は大好きで。特に恋愛小説においてはそういう関係性が好みなんだろうと思う。
この作品を読んで「山田さん版『嵐が丘』ですね」って言った人がいたんだけれど、確かにそういう面はあるかもしれない。ヒースクリフがどういうふうに見えるか。復讐するために来たのに、けっきょくは主客が転倒して……といった構図をちょっと念頭に置いて書いた感じです。
ジェーン 今回はなぜ中原中也の詩をそのまま引用する形にしたんですか?
山田 私は言葉というものにすごく厳密でありたい、人間の感情は言葉で成り立っていると信じたいんだけど、そんな考えとは、まったく無縁な人を詩人に変える力が恋にはあると思ってるから。それがどんなにシンプルでつたない詩であっても、恋ってそういう瞬間を持ってくると思うの。
ジェーン なるほど……。
山田 「えっ、この人が?」というような感じの人が詩人になってる瞬間ってあるんだよね。ただ、現実でその瞬間を目撃したときは「わあ、恥ずかしい。陳腐だな」って思うから、小説のマジックの力が必要になってくる。
ジェーン ちなみに作中で引用されている「春日狂想」って、初出が『文學界』みたいですよ。文藝春秋に版元を移す前のことですけど。
山田 そうなの? へえ。
ジェーン ちょっと面白い偶然だなと。実際にフラれた瞬間じゃなくて、学校の授業で詩を聞いているときにクラッシュするというのがいいですよね。あの時差、すごくわかる。
山田 そう。詩ってそういう効用ってあると思うんだよね。小説とまた違う、凝縮された時間を含み込んだ言葉のエッセンスみたいなものが人の感覚をクラッシュさせるんだと思う。
トラッシュ
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