特集

花見の宴の謎あるいは人生は面白いという命題からいかにしてアイロニーを払拭するか

文: 松浦寿輝

文學界11月号

「文學界 11月号」(文藝春秋 編)

 立川で中央線から青梅線に乗り換え、四十分ほど行ったところにある小さな駅で月岡は電車を降りた。ホームから橋を渡って改札口に近づいてゆくと、手にした紙きれを駅員に見せながら手振り身振りとともに、英語訛りのあまり上手くない日本語で何かをまくし立てている男の姿がすぐ目に入った。駅員はその紙きれを矯(た)めつ眇(すが)めつしつつ困惑した顔で頭を掻いている。関わり合いになると面倒だと思い、月岡はその脇をさっとすり抜けようとしたが、ふとこちらを振り向いたその男の顔にいきなり喜色がのぼってぱっと明るくなり、オー、ミスター・ツキオカ、と呼びかけてきたのには驚いた。

 ロサンゼルスでのご講演はまことにすばらしかったです、と男は英語で言いながら、だらんと垂れたままだった月岡の右手を突然両手で掴んで持ち上げ、がっしと握り締め、勢いよく上下に振る。月岡は一瞬、呆気にとられていたが、

 スイセキ、ハイカイ、芭蕉、西行、この世の無常――いやあ、日本的美学のエッセンスを実に簡潔に、またユーモラスに紹介してくださって、ご来場の皆さんもわれわれスタッフ一同も、大きな感銘を受けました、と男が話を続けるに及んで、ようやく何となく記憶の底で揺らめき立ってくるものがあった。

 はあ、スイセキ、ハイカイ……と、月岡はとりあえず曖昧に呟いて時間を稼ごうとした。

 今日はね、ミスター・キノシタがメールで知らせてくれましてね。ぜひお目にかかって、あのすてきなご講演のお礼を改めて申し上げたいというのが一つ、それから、家内と娘にぜひ日本のハナミというものを体験させてやりたいとも思い――。

文學界 11月号

2019年11月号 / 10月7日発売
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