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野生のシカの味、熱いコロッケの味

野生のシカの味、熱いコロッケの味

平松洋子

『食べる私』(平松洋子 著)


ジャンル : #随筆・コミックエッセイ

『食べる私』(平松洋子 著)

 食べものについて語れば、人間の核心が見えてくる。

 その理由はとても簡単だ。食べることは、生きること。生きとし生けるものは、食べる行為から逃がれることはできない。何を食べるか、誰とどう食べてきたか、何を食べないか、食べてこなかったか。食について思考をめぐらせる言葉はみずからの生の証しである。そして紡ぎだされるのは、血湧き肉躍る自由と放浪の物語だ。

 本書は、二〇一三年三月号から足かけ三年、「オール讀物」に掲載された「この人のいまの味」をまとめた一冊である。各回どなたにお話を伺うか、連載の担当編集者、角田国彦さんと膝を突き合わせて考えた。書面で依頼状をお送りすると、どの方も快く引き受けてくださったことがありがたく、お会いする日まで関係資料を読みこんで場に臨んだ。種々の資料や著作に目を通していると、食べものについて書かれていなくとも、朧気(おぼろげ)ながら食の手触りのようなものが彼方に浮上する気がするのは不思議なことだった。

 話を伺いたい動機はただひとつ、食べものとの関係に濃厚な気配が感じられること。とはいえ、食全般に通じていたり、料理や店に詳しい必要はもちろんなかった。各界のこのひとが食べものを語れば、人間の真実に触れる瞬間がもたらされるのではないかという予感だけを杖とした。連載時、第一回目をデーブ・スペクターさんにお願いしたのも、この意図を明確にしたいという思いがあったからだ。かねがね、デーブさんの食べ物にたいする関心のなさには、人物理解への手掛かりが顔をのぞかせているように感じていた。じっさい、「食事に費やす時間がもったいない」「うどんは重い」「ふたりの時間がもったいないから、妻に手料理は求めない」……オリジナルな言葉の数々が痛快だった。そして、アメリカで少年時代に食べていた「バターで炒めて黒くなったマカロニチーズ」をなつかしみ、焦げて油臭いバターの味を「僕にとって、それ、グルメ」と断言するとき、異能のひとの孤独な幸福感に接したように思われ、痺れた。あるいは、光浦靖子さんが「ふだんは自分のためのやっつけ料理ばっかり」「料理は飽きちゃうっつうか、めんどくさーい」と線の細い声でつぶやくとき、自己の飼い慣らしかたに触れてはっとさせられたものだ。料理との距離感が、芸人としての光浦さんの個性をべつの角度から照らし出している。

 毎回思い知らされたのは、子ども時代の食体験がひとを司っている、その事実の重さである。ギャル曽根さん、安藤優子さん、あるいはジェーン・スーさんが少女時代に経験した豊かな食卓の情景を繙(ひもと)くとき、家族や母とのつよい絆が浮上する。辻芳樹さんは少年時代の特異な食体験を自己形成の鍛錬としたが、いっぽう、京都の老舗料理屋に生まれ育った松井今朝子さんの幼少時の経験には、背景に潜む日本文化の陰影を感じずにはいられない。ひとそれぞれに根ざした食べものや食体験は、五感に染み込んで養分となり、人格を育て、かくも深く人生に関与する。

文春文庫
食べる私
平松洋子

定価:858円(税込)発売日:2019年04月10日

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