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ラストに待ち受ける大いなる感動。だが、謎が解かれて終わりではない。

ラストに待ち受ける大いなる感動。だが、謎が解かれて終わりではない。

文:末國善己 (文芸評論家)

『壁の男』(貫井徳郎 著)

出典 : #文春文庫
ジャンル : #エンタメ・ミステリ

『壁の男』(貫井徳郎 著)

 第四章では、両親との関係、そして中学時代のエピソードによって伊苅の性格を形作った要因が掘り下げられる。伊苅は、大手家電メーカーの工場で働く父と美術教師の母の間に生まれた。伊苅が中学一年の時、母は三年連続で二科展に入選しており、母の画家としての活動を応援していた父は、母が初入選した頃から、嫉妬心を抱くようになる。美術教師の息子なのに絵が下手なことにコンプレックスを持っていた伊苅の前に、美大を目指すという同級生の堀越が現れる。やがて堀越は母に絵を教わるようになり、伊苅は堀越のように持って生まれた才能がないことで、母を盗られたように思え苛立ちを募らせる。伊苅のように、自分が他人からどのように見られているのかを過剰に意識したり、自分と他人を比較して優越感に浸ったり、逆に劣等感に陥ったりすることは、思春期なら誰もが経験しているはずなので、第四章は等身大の少年を主人公にした青春小説として楽しめるだろう。

 伊苅をめぐる家族のドラマ、恋愛模様、青春の苦悩など多彩な物語を紡ぐ本書は、あまりミステリらしくないと思えるかもしれない。だが実際は、第二章で描かれた夫婦の溝が生まれた理由が第三章で示され、第一章で伊苅が感じていた母の寂しさの秘密が第四章で解明されるなど、各エピソードがリンクしながら着実に伊苅が絵を描いた動機という真相に向かって進んでいるのだ。江戸川乱歩は評論集『幻影城』の中で、探偵小説を「難解な秘密が、論理的に、徐々に解かれて行く径路の面白さを主眼とする文学である」と定義したが、緻密な構成によって一枚、また一枚と秘密のベールを剥いでいく本書は、乱歩が理想としたミステリそのものなのである。

文春文庫
壁の男
貫井徳郎

定価:825円(税込)発売日:2019年11月07日

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