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今村夏子「的になった七未(なみ)」芥川賞受賞第一作

今村夏子「的になった七未(なみ)」芥川賞受賞第一作

今村夏子

文學界1月号

出典 : #文學界

「文學界 1月号」(文藝春秋 編)

「どうかしましたか?」

 そこへいきなり登場したのは、この保育園の園長だった。「園長先生」と、マキ先生が言ったので、つっかけを履いてこちらにやってくるおじさんは、そうか、園長先生なのか、と七未は思った。園長は腕組みをしながらマキ先生の話を聞いた。聞き終わると子供たちに向かって「遊ぶのやめっ」と怒鳴った。

「そこに並べっ」

 園庭にいた子供たち全員を、ワニのシーソーの前に整列させた。

 園長は、みんなが拾い集めたどんぐりを順番に回収し始めた。手に握っているものだけでなく、ポケットの中に入れてあるのも、すべて出すよう命令した。回収したどんぐりは、お砂場遊びの時に使う小さな赤いバケツに入れた。

「これで全部か」

 そう言うと、園長はバケツの中からおもむろに一個つまみ取り、先ほどケンカをしていた二人の男の子のうち、一方に向かって投げつけた。

「痛っ」

 と、どんぐりを当てられた子が言った。園長はもう一個どんぐりをつまむと、もう一方の子にも同じように投げつけた。

「痛いっ」

 ふえ~ん、ふえ~ん。男の子二人は声を揃えて泣きだした。

「ミルクの気持ちがわかったか!」

 園長は言った。ミルクはヤギの名前だ。

「みんなも、わかったか!」

 みんなはコクコクと頷(うなず)いた。七未も、頷いた。

「いーや。わかってない」

 ゆっくりと左右に首を振り、園長は続けた。「きみたちは、なーんもわかってない。ミルクがどれだけ怖かったか、どれだけ痛かったか。いいか、痛みというものは、自分で体験して初めて理解できるものなのだ」

 そしてまたどんぐりを一個つまみ取った。

「ミルクはな、ミルクは……、このぐらい痛かったんだっ」

 と、今度は別の子に狙いを定めて投げつけた。どんぐりを当てられたその子は、ふえ~んと泣きだした。

「わかったか」

 園長は言い、またバケツの中に手を入れた。

文學界 1月号

2020年1月号 / 12月7日発売
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