一九七〇年代初頭のある日、ニューヨークのマンハッタンを歩いていたジャーナリストのゲイ・タリーズは、マッサージ・パーラーの看板を見つけると、興味をそそられて入っていった。そんなもの、それまでは見たことがなかったからである。
このマッサージ・パーラーとの出会いがタリーズに『汝の隣人の妻』を書かせることになったというのはアメリカ文学史およびアメリカジャーナリズム史では有名な話である。マッサージ・パーラーにアメリカ人の性意識の大きな変化を予感したタリーズは、性産業のあれやこれやに潜入、ミイラ取りがミイラになるようなスリルを数々味わいながら、取材を重ねた。小説のように読める新しいノンフィクションとして評判になっていた「ニュー・ジャーナリズム」の旗手として注目を浴びていたタリーズのこの行動はおおいに話題になり、ただのスケベオヤジだろうが、という嘲笑もそこかしこで浴びることもあったが、およそ十年後の一九八一年、その本は出て、スキャンダラスな大ベストセラーになった。
その取材をすすめていた一九八〇年一月のことである。タリーズのもとに無署名の速達が届いた。
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