別冊文藝春秋

『海を破る者』今村翔吾――立ち読み

文: 今村 翔吾

電子版31号

「別冊文藝春秋 電子版31号」(文藝春秋 編)

「そうか」

 淡い落胆を隠すことができなかった。令那の故郷について色々聞きたいという欲求がある。それは繁も同様で、そのために二人を引き取ったのだ。

「そもそもな……」

 繁は波のさざめきを縫うように語り始めた。奴隷商人が引き連れていた奴隷の数は多い時で八十余人、少ない時でも二十人はいた。肌や眼の色も違えば、使う言語も異なる。日中は無駄口を叩くことさえ許されないし、夜に少し話す機会があっても、自然と言葉の通じ合う者どうしが固まる。つまり繁も令那とほとんど会話したことはなかったという。

「ほう」

 では何故、令那を引き取ろうとした時に、俺も連れていけと訴えたのか。それを聞くべきかどうか迷った。語らないのもむしろ余計な誤解を招くと思ったのか、繁は舌を強かに打ってぼそりと答えた。

「恩があるからな」

「恩?」

 六郎は振り返って鸚鵡返しに訊いた。繁は振り返らずに網を引き寄せている。細身であるが逞しく締まった腕に筋が浮いていた。

別冊文藝春秋からうまれた本

別冊文藝春秋 電子版31号(2020年5月号)文藝春秋・編

発売日:2020年04月20日


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