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赤い砂を蹴る

赤い砂を蹴る

文:石原 燃

文學界6月号

出典 : #文學界

「文學界 6月号」(文藝春秋 編)

 トイレに行きたくはなかったけれど、からだを伸ばしたい。バスのなかは冬だというのに冷房が効いていて、からだが凍え切っていた。冬といっても日本とは違い、晴れていれば日中はTシャツ一枚で過ごせる。とはいえ、朝晩は冷え込むし、眠っていると体温が下がるので、よけいに辛い。

「ブラジルの七月は寒いのよ。南国には暖房って概念がないから。九月になれば、花が咲き乱れてきれいなのに。」

 芽衣子さんがそういうのを押し切ってこの時期に決めたのは、私の仕事の都合だったから、ほらみたことかと言われそうで泣き言も言えず、ただじっと寒さに耐えていた。

 バスが蛍光灯の灯る駐車場に入り、大きな建物の壁に向かって止まったので、いすの背もたれをすこしもどし、かばんに腕を通した。休憩のとき、座席に貴重品を置いていってはいけないと、口をすっぱくして言われていた。

 バスのエンジンが止まり、油圧式のドアが開く。芽衣子さんは私を残して、さっさと下りてしまった。早く行かなくちゃ。シートベルトを外して立ち上がり、毛布代わりに掛けていたジャンパーをつかんでバスを降りた。外はもうすっかり夜だった。

 ブラジルに行きたいと言っていたのは、私ではなく母だった。

 芽衣子さんと友だちだったのも、母の方だ。

 二十年前、夜中に酔っ払って、コンクリート床のアトリエで転び、骨折した母の手伝いをしてくれる人として、友人に紹介されたのが芽衣子さんだった。はじめは骨折が治るまでという話だったのだが、なんだかんだとそれ以降も週に一度は母の家に来て、食事をつくってくれたり、庭の草むしりを手伝ってくれたり、デッサンのモデルになってくれたりしているのだと、母から聞いていた。母が芽衣子さんのしっかりした骨格をクロッキー帳に描き写している間、芽衣子さんはよくブラジルにいた頃の話を聞かせてくれたらしい。

 農場の近くに第二次世界大戦で日本が勝ったと信じる「勝ち組」のおじさんがいたこと。母親から言われて、時々お菓子を持っていったけれど、普通の優しいおじさんだった。子どもの頃、近くの農場で日系人の女の子が殺されたこと。学校で話したことのある子だった。同じ農場で働いていたブラジル人の労働者が行方をくらましたので、犯人に違いないということで、男たちが夜中まで森を探し回った。そんな話。なかには、日本に来てからの愚痴も混じっていた。なにかというとすぐ、あなたはブラジル人だからって言われる、と芽衣子さんは唇を噛み、あなたは私よりずっと日本人らしいわよ、と母が言うと、嬉しそうに笑う。そして、母をいつか、ブラジルに連れて行きたいと言う。

文學界 6月号

2020年6月号 / 5月7日発売
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