本の話

読者と作家を結ぶリボンのようなウェブメディア

キーワードで探す 閉じる
群れず集まる<特別全文公開>

群れず集まる<特別全文公開>

文:田中 和将

文學界7月号

出典 : #文學界

「文學界 7月号」(文藝春秋 編)

 令和二年四月、今年の春はいやに肌寒く感じていたが、ようやくこの季節らしい日差しが降り注ぐようになった。伸び放題になってきた木をそろそろ手入れしなければと思っていたある朝に雨戸を開けると、ほんの二尺ほどの近さで鳥と目が合った。猫の額ほどの庭、よく見るとオリーブの木に鳩が巣を拵えている。ちょうど掃き出し窓に立った私の目の高さである。これは困った。たくさん集まってきて糞を落とされたりしてはたまったものではない。そうなると近隣にも迷惑がかかるであろうし、追い出すべきか否かと悩んでいたが、既に卵を温めている様子である。最早追い出しにくいではないか。

 調べてみたところ、そこらの公園などで群れているドバトではなく、キジバトのようである。たしかに公園のものより少し細身で色柄も違う。きりっとしていてどことなく野鳥の趣である。キジバトは群れず、単独、或いはつがいで行動するとあり、なるほど昼と夜で雄と雌(私には雌雄の区別はつかない)が交代して巣を温めている。糞も巣の外にはほとんど落とさないようであるし、これなら問題は無いと胸を撫で下ろしていると二羽の雛が孵った。予想に反して薄汚い雛であるが、可愛くないこともない。末の息子と一緒に観察日記をつけて見守ることにした。

 さて、何故にこんな隠居老人宛ら鳥を眺めて暮らしているのか。仕事が無いからである。

 音楽に目覚めて以来、バンドがやりたくて仕様がなかった。もちろん創作も好きではあるが、それ以上にバンドをやることが喜びであった。やがてその願いは叶えられ、幸いにも周囲の人々やお客さんに支えられながら二十年以上も活動を続けて来られたのであるが、ここへきてぴたりと止まってしまったのだ。

 一人でも創作という行為は可能である。それはこれまでと変わりはないが、思えば私の場合、それをバンドで演奏するという目的の後押しがあってのことであった。独りで作ったものを一人でどうすることも出来ないのである。

 音楽の聴かれ方、使われ方が時代とともに変わってゆくのは必然であり、インターネットによって発信の仕方も享受の仕方も変わってきた。わざわざバンドを組まなくてもバンドみたいなものを一人で作り、一人で発信することも幾らでも出来るのである。そういった方法に無頓着であり、どちらかといえば避けてきた私のような者は途方に暮れるばかりである。

 長けた者は既にSNSなどを利用して音楽の新たな在り方を模索している。それは前向きな行為であり、私などもこの先、遅まきながら学ばざるを得ないのかもしれないが、どうにも苦手な風潮も渦巻いている。こういう非常時には必ず多くのアーティストやアスリートらが「勇気を与えたい」「聴いた(観た)人を元気にさせたい」と一様に口を揃えて発信するのだ。

 幼少期の私の家庭事情は複雑で、かなりの社会的弱者と言ってよい環境で育った。物心がつき、少しは人並みに暮らせるようになった少年期に音楽に出逢ったが、前述のような「勇気を与えたい」という作為を少しでも感じさせるもの、ましてやそれを口に出してまで主張するものには全く心が動かなかった。音楽は、いや音楽に限らず全ての作品やパフォーマンスは、受け取る側が自らの解釈で咀嚼して初めて「勇気」や「元気」に変換されるものだと考えている。その意味では私も音楽に救われた人間の一人であるが、「勇気を与えたい」「聴いた(観た)人を元気にさせたい」という、烏滸がましく傲慢な動機でものを作ることを今も自分に禁じている。

 しかしこれがまあ理解されない。多くのミュージシャンやクリエイターはやはり自我が強く、こういった業界全体として常に「与える」「伝える」側のつもりであり、受け取る側は「わかりやすくそう示してくれるもの」を求める、という関係性でパッケージが出来上がっている。そこに弱者は含まれていない。排斥された者が蚊帳の外から見る光景は、宛らこの社会の縮図であろう。臭い物には蓋をされ、同じような層の間で同じような需要と供給が回るだけならば、私は一体どんな層で何をしているのか。自ら望んでこの業界に来たはずなのに、どうりで居心地の悪さといたたまれなさを感じ続けていたわけである。向いていないなと幾度となく思いながら現在に至る。

 私は自分の作るものが芸術だとも娯楽だとも、人の役に立つとも思っていない。あるとすれば、私以外の手が入って、バンドの何かが作用して、聴き手の何かが作用して、やっと有意義なものが産まれるかもしれないという期待である。私と似たような者の居場所が生まれるかもしれないと。

 群れずに生きるキジバトをどこか羨ましく思いながら、集まらずには生きられないバンドをやるという、そんな皮肉な矛盾も今は止まったままである。

 幸運を呼び込むと云われるキジバトの二羽の雛はあっという間に成長し、羽には美しい模様が現れた。巣立ちの日が近づいている。

雑誌・ムック・臨時増刊
文學界 2020年7月号
文學界編集部

定価:990円(税込)発売日:2020年06月05日

プレゼント
  • 『赤毛のアン論』松本侑子・著

    ただいまこちらの本をプレゼントしております。奮ってご応募ください。

    応募期間 2024/11/20~2024/11/28
    賞品 『赤毛のアン論』松本侑子・著 5名様

    ※プレゼントの応募には、本の話メールマガジンの登録が必要です。

ページの先頭へ戻る