特集

群れず集まる<特別全文公開>

文: 田中 和将

文學界7月号

「文學界 7月号」(文藝春秋 編)

 長けた者は既にSNSなどを利用して音楽の新たな在り方を模索している。それは前向きな行為であり、私などもこの先、遅まきながら学ばざるを得ないのかもしれないが、どうにも苦手な風潮も渦巻いている。こういう非常時には必ず多くのアーティストやアスリートらが「勇気を与えたい」「聴いた(観た)人を元気にさせたい」と一様に口を揃えて発信するのだ。

 幼少期の私の家庭事情は複雑で、かなりの社会的弱者と言ってよい環境で育った。物心がつき、少しは人並みに暮らせるようになった少年期に音楽に出逢ったが、前述のような「勇気を与えたい」という作為を少しでも感じさせるもの、ましてやそれを口に出してまで主張するものには全く心が動かなかった。音楽は、いや音楽に限らず全ての作品やパフォーマンスは、受け取る側が自らの解釈で咀嚼して初めて「勇気」や「元気」に変換されるものだと考えている。その意味では私も音楽に救われた人間の一人であるが、「勇気を与えたい」「聴いた(観た)人を元気にさせたい」という、烏滸がましく傲慢な動機でものを作ることを今も自分に禁じている。

 しかしこれがまあ理解されない。多くのミュージシャンやクリエイターはやはり自我が強く、こういった業界全体として常に「与える」「伝える」側のつもりであり、受け取る側は「わかりやすくそう示してくれるもの」を求める、という関係性でパッケージが出来上がっている。そこに弱者は含まれていない。排斥された者が蚊帳の外から見る光景は、宛らこの社会の縮図であろう。臭い物には蓋をされ、同じような層の間で同じような需要と供給が回るだけならば、私は一体どんな層で何をしているのか。自ら望んでこの業界に来たはずなのに、どうりで居心地の悪さといたたまれなさを感じ続けていたわけである。向いていないなと幾度となく思いながら現在に至る。

 私は自分の作るものが芸術だとも娯楽だとも、人の役に立つとも思っていない。あるとすれば、私以外の手が入って、バンドの何かが作用して、聴き手の何かが作用して、やっと有意義なものが産まれるかもしれないという期待である。私と似たような者の居場所が生まれるかもしれないと。

 群れずに生きるキジバトをどこか羨ましく思いながら、集まらずには生きられないバンドをやるという、そんな皮肉な矛盾も今は止まったままである。

 幸運を呼び込むと云われるキジバトの二羽の雛はあっという間に成長し、羽には美しい模様が現れた。巣立ちの日が近づいている。

文學界 7月号

2020年7月号 / 6月5日発売
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