結局、演奏会への招待も、この老人との出会いも、「意図も原理もわからない」「謎の古代文字」のようなものとして解決されないまま残るのだが、「ぼく」は「これまでの人生で、説明もつかないし筋も通らない、しかし心を深く激しく乱される出来事が持ち上がるたびに」、いつもその円について「考えを巡らせた」と自分の人生の道のりを回想するのである。
「チャーリー・パーカー・プレイズ・ボサノヴァ」は、読者がジャズをどのくらい愛好しているかにもよるが、私には集中屈指の傑作と思えた。作品は「僕」が大学生のときに書いた、架空のレコードをめぐる評論の長い引用から始まる。それは一九五五年に亡くなっているはずの「バード」(チャーリー・パーカー)が一九六三年にボサノヴァばかりを演奏して作った「チャーリー・パーカー・プレイズ・ボサノヴァ」というレコードについての批評で、収録された曲のリストも挙げられ、演奏家名も列挙されている。ピアノはアントニオ・カルロス・ジョビン!
このレコード評はある大学の文芸誌に掲載され、編集長はこれが実在するレコードについてのものだと信じ込んだほどだった。もちろん、音楽をよく知る読者からは、悪ふざけだと非難されたのだが、これが「僕」にとっては、生まれて初めて活字になり、原稿料をもらった文章だった。これにはさらに二つ、不思議な後日談が付け加わる。十五年後、「僕」はニューヨークの中古レコード店で、架空のものであったはずの「チャーリー・パーカー・プレイズ・ボサノヴァ」というレコードを見かけるのだが、買いそびれてしまう。そしてもう一つ、「かなり最近」のこと、夢にチャーリー・パーカーが現れ、アントニオ・カルロス・ジョビンの名曲コルコヴァドを演奏してくれたのだった。そして物語は、「あなたにはそれが信じられるだろうか?/信じた方がいい。それはなにしろ実際に起きたことなのだから」と結ばれるが、じつは、これは「僕」が大学生時代に書いたレコード評の中に現れる言葉をそのまま繰り返している。レコード評のほうは明らかに「架空」のものだったわけだが、それについて自伝的回想のような形で書かれているこの作品の「僕」はそれを繰り返すことによって、架空のレコード評も、それについて書いている自伝的回想の形をとった作品も、同じようにフィクションであると同時に同じように真実である、と主張しているように見える。
「ウィズ・ザ・ビートルズ With the Beatles」も、音楽に満ちた作品で、「僕」が高校生だった、一九六四年から六五年の出来事を回想する。この作品で印象的なのは、まずいきなり、語り手が歳をとったことについての感慨を述べ、「回想モード」があからさまに打ち出されることだ。「歳をとって奇妙に感じるのは、自分が歳をとったということではない。(……)驚かされるのはむしろ、自分と同年代であった人々が、もうすっかり老人になってしまっている……とりわけ、僕の周りにいた美しく溌剌とした女の子たちが、今ではおそらく孫の二、三人もいるであろう年齢になっているという事実だ」。
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