トップ選手に届いた脅迫状。警視庁の悠宇は捜査に乗り出し、あることに気づく。『アキレウスの背中』長浦京――立ち読み
第2話
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四百メートル・トラックの脇に建てられた小さな観覧スタンドに、コートを着込んだ下水流悠宇とその部下たちは座っている。
四人の視線は嶺川蒼選手に注がれていた。
青空の下、北風の中に白い息を吐きながら走る彼は、二本のパイロンが置かれた百メートルほどの直線の間を、淡々と往復し続けている。
千葉県鴨川市内にあるDAINEXスポーツ総合研究所。晴れてはいるが二月の午前中の空気は冷え切っていて、厚着をしていても耳や頬が軽く痺れるように痛い。
「これ、マラソンのトレーニングですよね?」
悠宇より五歳年上の部下、二瓶茜が独り言のようにいった。だが、悠宇も確信を持って「そうだ」と返事ができない。違うはずがないのに言葉に詰まってしまうほど、目の前でくり広げられている光景は奇異だった。
強いていうなら人体科学のデータ収集のような。でも、それも違うな。とにかく予想していた練習風景とはまったく別物だ。
嶺川は駅伝やマラソンの中継でよく見るようなランニングシャツと短パンの上に、さらにもう一枚何かを身につけている。上半身には子供用のボレロのような丈の短い七分袖のウエア。胸側だけでなく背中も大きく割れているのは、実際のレースのときにつけるゼッケンを隠さないためなのだろう。下半身には腿の脇に大きくスリットの入った、バスケット選手の穿くような丈の長いトランクス。
フィールドの風速計には七メートルの表示が出ている。
ときおり悠宇の肩までの髪が風になびき、コートの襟も揺れているのに、嶺川の身につけている白いウエアは、どんな素材で作られているのか、まったく風に揺れているように見えない。
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