ベートーヴェンは手掛けたほぼすべてのジャンル──交響曲(全九曲)、ピアノ協奏曲(全五曲)、弦楽四重奏曲(全一六曲)、ピアノ三重奏曲(全七曲)、ピアノ・ソナタ(全三二曲)、ヴァイオリン・ソナタ(全一〇曲)、チェロ・ソナタ(全五曲)などがすべて傑作揃いで、後世の演奏家はこれらを「全集」として生涯、レパートリーにし、ステージで挑戦し、愛奏する。レコード会社はクラシック音楽部門のドル箱として、LP、CD、DVD、LDなどで競って「全集」をリリースする。
このような作曲家は音楽史上、ベートーヴェンただ一人である。しかも、どのジャンルにおいても作品には史上最高の傑作が含まれている。
このような人の作品と人生を語り尽くすことは至難の業──「不可能」と言えるかもしれない。しかしこの小著が、二〇二〇年、彼の生誕二五〇周年という節目の年に刊行されることによって、読者にこの不世出の人物の人生と作品の一端をご理解いただけるとしたら、同じ音楽の世界に身を置く者として、これ以上の喜びはない。
ベートーヴェンは生涯独身であった。しかし、「不滅の恋人への手紙」に見られるように、熱烈な恋愛も経験したし、一八一七年の彼の手記には〔愛のみ、──ただそれだけが汝に幸福をもたらすことができるのだ。──おお、神よ、──いつかは私にそれを見つけさせたまえ。──私の徳を高め──私のものとして許さるべき人を──〕という記述がある。また一八〇九年には、友人のグライヒェンシュタイン男爵に、〔さてぼくの嫁さがしを手伝ってくれませんか。普通のありふれたものでなく、わが音楽に憧れをもつような人を。──しかし美人でなければならない。きれいでないものをぼくは愛することはできない〕という書簡を送っている。
有名なピアノ曲《バガテル イ短調「エリーゼのために」》(WoO59)を一八一〇年に献呈したテレーゼ・マルファッティには強い結婚願望を抱いていたという。
しかし彼と付き合った美しい女性はすべて貴族の出身であったから、当時の身分制社会にあっては、結婚は許されなかった。なおこの曲には、献呈されたテレーゼ・マルファッティの名が楽譜に書かれているが、ベートーヴェンの悪筆のため、出版社が「テレーゼ」を「エリーゼ」と読み違えたという、彼らしい挿話がある。
ともあれ、貴族の家庭や社交の場であったサロンの娯楽物で、そのほとんどが一度限りの使い捨ての憂き目を見ていた音楽を、不滅の「芸術作品」に仕上げたという行為は、ベートーヴェンが人類に贈った最大の遺産である。
背景に産業革命と市民階級の勃興があり、フランス革命とナポレオンの登場による近代社会への移行期があった。奇しくも同年生まれの哲学者ヘーゲルが出現、文豪ゲーテもワイマール公国の宰相として活躍していた。ゲーテはベートーヴェンについて、「私は、このように強い集中力、活力、豊かな心情を持った芸術家に会ったことがなかった。彼が世間に調子を合わせるのをどんなに困難に感じていたか、よく理解できる」と語っている。
「時代が生んだ巨人の一人」であるには違いないが、それにしても遺した遺産とその功績は不滅であり、影響は余りにも大きい。
(「エピローグ」より)