毎月二冊ずつ刊行中の「居眠り磐音」〈決定版〉シリーズ。全巻を見通して目配りを施している著者・佐伯泰英さんに、いま、改めて「磐音」の物語への思いをお伺いしました。主人公・坂崎磐音が生まれるまでを振り返ります。
――「居眠り磐音」〈決定版〉シリーズは、十巻を超えました。
全五十一巻のようやく五分の一……著者が言うのも無責任ですが、先はまだまだ長いですネ(笑)。
――シリーズ刊行が始まるや、「『居眠り磐音 江戸双紙』が完結して淋しい思いでいましたが、磐音が帰ってきて嬉しかった」と、磐音との“再会”を喜ぶ読者の声が寄せられました。
有り難いことです。二〇〇二年、第一作目『陽炎ノ辻』を刊行してから第五十一作『旅立ノ朝』の完結まで足掛け十五年、気付けば累計部数二千万部を超えるシリーズとなっていました。読者の方々への感謝しかありません。その一方で、文庫書き下ろし時代小説を「消耗品」と考え、一冊を二十日間ほどで書き飛ばしてきた著者としては、たくさんの方に愛されたシリーズゆえに、もう一度読み返して手を入れたいと、かねてより熱望していました。著者はもちろん、編集者にもまっさらな視点で見直してもらうため版元を変えました。
――〈決定版〉の編集を進めるなかで、改めてシリーズの奥深さと長大さを実感しましたが、当初はどこまで構想されていたのですか。
構想など全くありませんでした。ただ、次へ、次へという焦りにも似た執筆しかなかった。正直なところ、どこで打ち切られるか、どこからも注文が来なくなるんじゃないか、と怯えながら書いていた。「磐音」が幸運だったのは、「密命」や「鎌倉河岸」のシリーズがある程度成功した時期にデビューできたことでした。
磐音に限らず、そもそも、私は書き始める前に構想するということがないんです。パソコンの前に座らないと何も浮かばない。
――パソコンの前に座ると、物語が降りてくるのですか?
降りてくるとは小説の神様の言うことでね、カッコよすぎるなあ(笑)。季節がいつか、場所はどこかが決まると、たとえば雷が鳴ったとか、そこに腰に一本差している侍、いまにも雨が降りそうななか、懐にはいくらあるのか、どこに行こうとしているのか……そんなことを考えていると、物語が進んでいくんですね。
かつて現代小説を書いていた頃、ある作家さんにこんなことを言われました。「賞を取りたければ、まず構成を考え順序立てて書くものだよ。あなたみたいに書きっぱなしでは無理だ」と。実はこの言葉がずっと気にはなっていたんですが、資料を準備して、構成を考えて、すっかりお膳立てしてから書く、というのはどうにも性に合わなかった。パソコンの前に座って、昨日書いた何行かを読み直せば、そうか、磐音はこう言ったんだな、だったらこう行動するな、と彼らが次々と動いていく。私がすることは、頭の中に浮かんできた言葉をパソコンに打ち込んでいくだけ。最近は言葉がだんだん出なくなってきましたが、とにかく私と物語が突発的にガーン! とぶつかったときに物語が走っていく。これは今も変わりません。
――「居眠り磐音」の物語の原点である関前の悲劇も、突発的に生まれたのですか。
いえ、関前の悲劇は頭の中にあったようです。売れない現代物を書いていた私が、「官能小説か、時代小説しか残されていない」と追い詰められ、生き残りを賭けて初めて書いた時代小説は、五話からなる短編集で、編集者に酷評されて、いったんお蔵入りになった。そのなかのひとつが「流言」と題した短編で、それを長編の第一章として書いたのが『いねむり磐音江戸日誌 炎熱御番ノ辻』でした(『陽炎ノ辻』「決定版刊行に際して」参照)。その原稿を、さる出版社から退社を余儀なくされてフリーになった知己の編集者が双葉社の担当者に持ち込んだ、それがすべての始まりでした。あのとき、組織の枠に納まらない編集者がいなければ、「磐音」の物語はどうなっていたことか……。
「磐音」に込めた思い
――「磐音」を書くにあたって、モデルはありましたか。
ありませんでしたね。私の長編時代小説第一作は『密命 見参!寒月霞斬り』ですが、これは藤沢周平さんの『用心棒日月抄』を意識して書き始めて、途中で柴田錬三郎風になったり、山本周五郎を真似てみたり、誰かの小説の光景を念頭に試行錯誤していました。そこから三年が経って、誰かを真似るのではなく、自分なりの時代小説のスタイルが出来てきて、ほどよく力が抜けて書けたのが「磐音」でしたね。
磐音は長崎に行き、京都に向かい……奈緒を追いかけますが、このあたりはまだ力みがありました。やがて磐音が江戸に戻ってきて、吉原にいる奈緒を陰ながら見守るようになると、磐音の考え方や行動が定まっていきました。楽しみながら書いたなあ。いま〈決定版〉のために手直しをしていますが、「あれ、俺こんな物語を書いたんだ。けっこう面白いじゃないか」と感心しています(笑)。
――時代小説の登場人物と言えば、〇〇衛門や〇〇次郎といったお馴染みの名前がありますが、磐音という二文字の名前には強い響きがあります。
磐音という名前も、シリーズが長く続いた理由のひとつだと思います。そもそも「イワネ」とは、同級生の一年上のお兄さんに「石根」さんという方がいらして、その響きが強く印象に残っていた。『居眠りナントカ江戸双紙』という通しタイトルを考えていたときに、遠い記憶が浮かび上がってきたので、「磐音」と字を当てたんです。
――その「石根」さんが、ご自宅を訪ねて来られたことがあったとか。
そう、彼のことを同級生だと私が勘違いして書いたあとがきかなにかを読んで、「私は先輩です」と訂正に熱海のわが家にみえた。いやあ、驚きました。虚構の主人公の名前のもとになった方が現れ、記憶違いまで指摘されたのですから(笑)。
シリーズが続くなかで、「生まれた子供に『磐音』と名付けました」とか、「うちの犬は『磐音』です」という読者の方がたくさんいらして。「磐音」は難しい字ですが、かなりインパクトがあったんだと思います。
――磐音という名前の硬質な響きとは対照的に、彼は優しく、お人好しで、困っている人を放っておけない。この性格はどのように決まったのですか。
磐音を語るとき、やはり関前の悲劇があります。志を一にした友を斬って、自分は生き残ってしまったという責めや後悔を負い、奈緒とも別れて藩を出奔、江戸に行く。本来、欲していなかった重荷を背負った磐音、最後の最後の最後まであの悲劇を償おうとし、奈緒への想いを抱え続ける磐音。そんな人物だからこそ、キリリとした剣術家というよりは、長閑で、ほっこりとした性格の方がいいのかなと思ったんです。頭で考えて磐音のキャラクターが出てきたのではなくて、最初の状況設定が磐音を作っていったような気がします。いつの間にかそんな磐音に私が乗せられ、あとは勝手に物語が動いていったんです。
――タイトルの「居眠り」という部分にもそうした思いが込められていたのですか。
そうです。「居眠り剣法」とは、その実態を著者もよく分からないのですが(笑)、間合いというか、緩急の「急」よりも「緩」を書いた方が磐音らしいということで、「春先の縁側で日向ぼっこをしている年寄り猫のよう」、「眠っているのか起きているのか、まるで手応えがない」と例えました。
――磐音の剣はどちらかと言えば受け身で、相手の剣を吸い付くように受けます。
相手の力を殺していくのだけれど、最初の頃は実際にかなりの相手を斬っていましたね。担当者からは、「佐伯さん、殺し過ぎですよ!」と言われた気がする(笑)。それもそうかと、木刀に変えたり、峰で打つようにしたり。本来、峰で打つと刀が折れやすくなるので、剣術ではやってはいけないらしいのですが、まあ、物語ということで。たとえ物語でも、人を殺すよりは刀が折れた方がまだいいじゃないか、と開き直っていましたね。
ここからは奈緒とおこん、ふたりのヒロインと磐音の関わりから、作品に込めた思いを伺います。作家生活を支える佐伯流・健康管理の秘訣もお話しいただきます。
――『居眠り磐音 江戸双紙』シリーズ刊行中から、磐音と奈緒には結ばれて欲しいと願う読者が多かったようですね。
小林奈緒は磐音の許婚でしたが、二人は結ばれない。磐音同様、奈緒も悲劇の人。読者の方からのお手紙を読んで、奈緒のファンが本当に多いことは分かっていましたが、二人が早々に結ばれてしまうと、物語が簡単に終わってしまう。結ばれなかったことが五十一巻も続いたもうひとつの理由ではないでしょうか。
とはいえ、どこかで幸せにしてあげなきゃいけないという思いはありましたから、吉原から身請けする人物と出会わせました。著者としてはサービス過剰(?)かもしれませんが(笑)。
――一方、おこんは当初、今津屋の奥にいる女中で、たまに登場するわりには存在感がありましたが、奈緒に比べると霞んでしまって……。
物語序盤では、メインの人物になるとは考えていなくて、名前も雑に決めてしまった記憶が……気の毒だったね(笑)。ただ、いま思えばそれで良かった。奈緒は小林という姓を持つ武家の娘であるのに対して、おこんは町人の金兵衛さんの娘。磐音は、住む世界が違うおこんと知り合って、長い時間をかけて惹かれていったのですから。
――磐音にとって、おこんの存在が大きくなったきっかけがあったのでしょうか。
奈緒と耐え難い別れ方をしても、武家の嫡男として育った磐音は、内なる感情を抑える術を承知している。西国九州から長い旅のはて、江戸に着いたときにはある程度は吹っ切れていたかもしれないが、人間そう簡単に忘れられるわけではない。
そんな心に大きな穴があいた磐音の傍に常に寄り添ったのがおこん。浮世絵師の北尾重政が描いて、“今小町”と絶賛されようが、磐音はほとんど動じない。むしろ、今津屋の病気のおかみさんに献身的に尽くし、誰彼区別なく接する彼女の魅力に、徐々に気付いていく。身分の違う彼女の人柄を理解するまでに時間はかかったかもしれないけれど、少しずつ向き合っていくんです。磐音が奈緒を想う気持ちは終生変わらないけれど、おこんはそれも含めて包み込もうとする。男女の物語は、そうであって欲しいという理想を描いていて、もちろん、僕の経験ではありません(笑)。
――現代は、男性が自信を失って、生きづらいと感じる世の中です。強く優しく、女性にもモテる磐音のような男性は理想ですが……。
ええ、こんな男性、現代にはなかなかいないでしょう(笑)。俳優の高橋英樹さんからは、私の作品のヒロインについて、「こんな女性いるわけないだろ!」と言われたこともあります。そうなんです、こんな男性や女性そうそういない。私のできないこと、こうあって欲しいという願望や夢を書いてきただけですから。
物が溢れ、情報が飛び交う現代は、一見豊かな社会ですが、現実は漠たる不安に囲まれている。せめて私の物語の中では一時でもご自分の境遇を忘れて欲しい。主人公たちがどんどん追い詰められて、苦しく、悲しいだけの物語ではなく、最後には楽しかったねと思える物語を書いてきました。百人の作家がいれば、百通りの世界観と書き方があっていいと思うんです。
――佐伯作品は、家族三世代で楽しめる物語と言われたこともありますね。
私と同世代の方に安心して読んでいただいた結果、それをお嫁さんが読み、その娘さんが読んで、三世代に読み継がれたんです。つまり、自信を失いつつある男性にエールを送ろうとしたのですが、この物語を認めいち早く評価してくれたのはむしろ女性だったのです。「私は北海道の農場で乳搾りをしながら読んでいます」というようなお手紙をたくさんいただきました。むろん、NHKで十年近くにわたって放映された時代劇「陽炎の辻」と、主演の山本耕史さんのおかげで、時代小説を初めて手にしてくれた方が多かったのも事実でしょう。
世界に漠たる不安が渦巻くなか、こんな物語があってもいいのではないかと思いますし、これからも書き続けると思います。
「江戸ファンタジー」と史実と
――現代人が安らげる物語は、現代ではなく江戸時代を舞台にするからこそ創作できたのでしょうか。
江戸時代というのは、二百六十年間、徳川幕府というひとつの政治体制のもと、「パクス・トクガワーナ」と呼ぶべき、安定と平和が続いた特異な時代です。江戸時代中期以降には、消費社会が出現し、「磐音」ではお馴染み鰻料理や鮨などの美味しい食べ物や下り物の酒や着物が広まり、吉原の遊女のファッションや化粧品、ヘアースタイル、小間物などが一般女性にも大きく影響を及ぼします。夜盗や殺しなどの事件や火事、地震や噴火、干害などの天災も多かったけれど、その上、庶民の九尺二間の住居は最後まで狭いままだったけれど、それでも明日働けば日銭を稼げてどうにか生きていける、という安心感を庶民は持っている。こんな逞しい社会ならば、浪々の侍が活躍する、いわば「江戸ファンタジー」だってあり得るんじゃないか、そう思ったんです。
――では、現地取材や資料の読み込みは大変だったのでは?
もちろん、知らないことはできるだけ調べるようにしましたが、なにせ二十日間で一冊を仕上げるので、取材して、資料を整理して……と悠長にやっている時間はありませんでした。それに、資料に制約されて、物語を書くことがしんどくなることもある。典型的な例が、磐音たちが動き回る江戸、とくに深川や本所の街並み。たとえば、竪川や小名木川は現在もありますが、石垣ならまだしも現代のブロックで整備されていますし、六間堀に行っても、下町の雰囲気は残ってはいますが、マンションや飲食店が立ち並んでいて、とても江戸の風景をイメージするなんてできない。むしろ、古地図をじっくりと眺めて沸き立ってくる自分のイメージで書いた方が楽だったわけです。
――しかし、全くの「ファンタジー」ではなく、磐音と実在の人物の絶妙な絡み合いも、このシリーズの面白さです。たとえば、これから登場する徳川家基は実在の人物ですね。
史実では、十代将軍家治の長男で、当然次代の将軍になるはずが、若くして亡くなった──言ってみればこれだけの人物です。この人を磐音と絡ませたらどうなるか。時は安永五年。外国船が近海に出没するなど、人々は不安を抱えている。そこで徳川幕府は、家康を祀る日光東照宮に参拝することで、人心の引き締めを図った。この史実である日光社参に、家基が行ったらどうなるかと考えた。家基を出したことで、田沼意次には敵役になってもらって、壮絶な戦い、そして決着にまで繋がっていった。
裏の主役・田沼意次
――家基も田沼も「磐音」シリーズを突き動かす推進力になったわけですね。
読者に「あ、この時代の話か」と感じてもらえるような史実を探した結果、幸運にも巡り合えたんですね。これはそれほど有名人でなくてもよくて、当時の最新医学の知識を持ったオランダ商館の医師が江戸にやって来て長崎屋に泊まっているなら、病気になった江戸の人を診察するかもしれない、そう思うとわくわくします。磐音を仲介役にすれば、多少の障害は越えられる。物語が進んでいくんです。著者にとっても、彼は格好の便利屋さんなわけです(笑)。
――まさに敵役の田沼意次に輝きがあるから、磐音が引き立つのですね。
最初は改革の志に燃えた、善き人だったんだ。やがて権力を握り、金銭欲が出てくると、やっぱり人間は弱いですよね。そんなにお金を手にしてどうするのと思うけれど、田沼も大名になって変わってしまったんでしょう。実際には良い政治もしていることを理解しつつ、悪い役を引き受けてもらいました(笑)。時代劇は、見るからに悪い顔の人がいると物語が締まりますから。
――田沼との対決はまだまだ先のことですが、〈決定版〉は二年余にわたる長期プロジェクトです。
はい、健康維持が第一と、規則正しい生活と一日一万歩の運動を欠かさず行っております。
――毎日一万歩ですか?
私は午前四時には起きます。まず二時間、仕事。小説の一節の半分ほどは書きます。一時中断、愛犬みかんと散歩して、歩数計は三千六百歩。帰宅したら風呂に入って三十分体操して、七時半に朝食。八時半には再びパソコンの前に座り、昼までに一節書き上げる。二年前から一日二食にしているので、昼は食べません。ゲラの校正などもしますが、合間に自宅二階のベランダ、通称“佐伯ジム”でドスンドスンと足踏みをして歩数を稼ぎます。
午後三時半、週に二、三回の鍼灸に行って、そのままみかんと夕方の散歩兼ドライブ。みかんも私もドライブが気分転換になります。五時前に帰宅、ここまででだいたい一万歩ですね。風呂に入りますが、早くビールが飲みたいのですぐに出ます(笑)。瓶ビール一本と、ワイングラス二杯か日本酒七酌。新聞を読んだりしていると午後八時頃になって、寝室へ。娘が買ってくる、北欧かイギリスのミステリーの翻訳や、内田百閒の日記を引っ張り出して小一時間ほど読んでから寝ます。
それと、東京へ仕事に出掛けたついでに、二カ月に一度、北里大学の漢方鍼灸治療センターで診察を受け、漢方を処方してもらいます。病を患っての病院通いにあらず。体調を維持するために必要な病院通いなので、気楽です。このとおり体調維持は抜かりなくやっております!
――安心しました(笑)。最後に、読者のみなさんへメッセージを。
時代小説第一作から二十年間、二百六十冊を超える物語を書いてきました。最初に飛び込んだ映画の業界は、組織の歯車になることができず、ついで現代小説は書けども書けども売れず、いよいよ進退窮まり、決死の覚悟で書いた時代小説でなんとか生き延びた。ただただ、何か残せるはずだ、と見通しもなく自分の経験と努力に賭けて書き続けてきた。縁というか、宿命を感じます。自分の年齢を考えると、これほど長いシリーズに手を入れる機会は二度とないかもしれません。読者のみなさまも、まずはお元気で(笑)、このチャレンジにお付き合いのほど、よろしくお願いいたします。