本の話

読者と作家を結ぶリボンのようなウェブメディア

キーワードで探す 閉じる
いま、「居眠り磐音」を振り返りて

いま、「居眠り磐音」を振り返りて

佐伯 泰英

著者特別インタビュー

出典 : #文春文庫
ジャンル : #歴史・時代小説

『探梅ノ家』(佐伯泰英)

ここからは奈緒とおこん、ふたりのヒロインと磐音の関わりから、作品に込めた思いを伺います。作家生活を支える佐伯流・健康管理の秘訣もお話しいただきます。

――『居眠り磐音 江戸双紙』シリーズ刊行中から、磐音と奈緒には結ばれて欲しいと願う読者が多かったようですね。

 小林奈緒は磐音の許婚でしたが、二人は結ばれない。磐音同様、奈緒も悲劇の人。読者の方からのお手紙を読んで、奈緒のファンが本当に多いことは分かっていましたが、二人が早々に結ばれてしまうと、物語が簡単に終わってしまう。結ばれなかったことが五十一巻も続いたもうひとつの理由ではないでしょうか。

 とはいえ、どこかで幸せにしてあげなきゃいけないという思いはありましたから、吉原から身請けする人物と出会わせました。著者としてはサービス過剰(?)かもしれませんが(笑)。

――一方、おこんは当初、今津屋の奥にいる女中で、たまに登場するわりには存在感がありましたが、奈緒に比べると霞んでしまって……。

 物語序盤では、メインの人物になるとは考えていなくて、名前も雑に決めてしまった記憶が……気の毒だったね(笑)。ただ、いま思えばそれで良かった。奈緒は小林という姓を持つ武家の娘であるのに対して、おこんは町人の金兵衛さんの娘。磐音は、住む世界が違うおこんと知り合って、長い時間をかけて惹かれていったのですから。

――磐音にとって、おこんの存在が大きくなったきっかけがあったのでしょうか。

 奈緒と耐え難い別れ方をしても、武家の嫡男として育った磐音は、内なる感情を抑える術を承知している。西国九州から長い旅のはて、江戸に着いたときにはある程度は吹っ切れていたかもしれないが、人間そう簡単に忘れられるわけではない。

 そんな心に大きな穴があいた磐音の傍に常に寄り添ったのがおこん。浮世絵師の北尾重政が描いて、“今小町”と絶賛されようが、磐音はほとんど動じない。むしろ、今津屋の病気のおかみさんに献身的に尽くし、誰彼区別なく接する彼女の魅力に、徐々に気付いていく。身分の違う彼女の人柄を理解するまでに時間はかかったかもしれないけれど、少しずつ向き合っていくんです。磐音が奈緒を想う気持ちは終生変わらないけれど、おこんはそれも含めて包み込もうとする。男女の物語は、そうであって欲しいという理想を描いていて、もちろん、僕の経験ではありません(笑)。

――現代は、男性が自信を失って、生きづらいと感じる世の中です。強く優しく、女性にもモテる磐音のような男性は理想ですが……。

 ええ、こんな男性、現代にはなかなかいないでしょう(笑)。俳優の高橋英樹さんからは、私の作品のヒロインについて、「こんな女性いるわけないだろ!」と言われたこともあります。そうなんです、こんな男性や女性そうそういない。私のできないこと、こうあって欲しいという願望や夢を書いてきただけですから。

 物が溢れ、情報が飛び交う現代は、一見豊かな社会ですが、現実は漠たる不安に囲まれている。せめて私の物語の中では一時でもご自分の境遇を忘れて欲しい。主人公たちがどんどん追い詰められて、苦しく、悲しいだけの物語ではなく、最後には楽しかったねと思える物語を書いてきました。百人の作家がいれば、百通りの世界観と書き方があっていいと思うんです。

――佐伯作品は、家族三世代で楽しめる物語と言われたこともありますね。

 私と同世代の方に安心して読んでいただいた結果、それをお嫁さんが読み、その娘さんが読んで、三世代に読み継がれたんです。つまり、自信を失いつつある男性にエールを送ろうとしたのですが、この物語を認めいち早く評価してくれたのはむしろ女性だったのです。「私は北海道の農場で乳搾りをしながら読んでいます」というようなお手紙をたくさんいただきました。むろん、NHKで十年近くにわたって放映された時代劇「陽炎の辻」と、主演の山本耕史さんのおかげで、時代小説を初めて手にしてくれた方が多かったのも事実でしょう。

 世界に漠たる不安が渦巻くなか、こんな物語があってもいいのではないかと思いますし、これからも書き続けると思います。

文春文庫
探梅ノ家
居眠り磐音(十二)決定版
佐伯泰英

定価:803円(税込)発売日:2019年08月06日

ページの先頭へ戻る