砂浜に倒れている少女は、炙られているようでもあり、炎の触手に囲われ大事に守られているようでもあった。
少女は真っ白なワンピースを身に纏い、長い黒髪が砂浜で扇状に広がっている。ワンピースも髪もずぶ濡れで黄色い砂がべったりと吸いつき、眩しい陽射しを照り返して輝き、ところどころ青緑の海藻が絡みついている。ワンピース以外に衣類はなく、持ち物も特にないようである。少女の白い裸足に、ワンピースの裾がめくれて露わになっている太腿に、折れそうなほど細い首筋に、どこか寂しげな色を浮かべる顔に、あちこち傷跡がついている。鋭いもので切られたような傷口もあれば、鈍器で殴られたような暗い紫色の痣もある。
少女を包み込んでいるのは赤一面に咲き乱れる彼岸花である。砂浜を埋め尽くすほど花盛りの彼岸花は、蜘蛛の足のような毒々しく長い蕊(しべ)を伸ばし、北向きの強い潮風に吹かれながら揺れている。薄藍の空には雲がほとんどなく、太陽はちょうど中天に差し掛かる頃で、その下に際限なく広がる海水は浜辺から翡翠色、群青色、濃紺へとグラデーションしていく。白い波は彼岸花の群れに押し寄せては、岸を打つと音を立てて砕ける。この光景を見ると、少女は波で海岸に打ち上げられたのだということを誰も疑問に思わないはずである。
最初に少女の姿を目にしたのは、彼岸花を採りに砂浜にやってきた游娜(ヨナ)だった。少女と同じくらいの年齢に見える游娜は笠を被り、ギンガムチェックの着物を着ていて、日に焼けた小麦色の細い手足が筒状の袖から伸びている。脹脛(ふくらはぎ)に届くくらいの長い黒髪は一つに結い、歩くと軽やかに躍動する。游娜は慣れた手つきで、満開を少し過ぎたくらいの彼岸花を丁寧に選別しては、はさみで緑の花茎(かけい)から切り取ると、左肩に背負っている麻袋に放り込んでいく。
鮮やかな彼岸花の群れに倒れている少女に気付いた瞬間、游娜は驚きのあまり麻袋を落とした。反射的にはさみを持ち直して身構えた。この砂浜には自分以外に誰もいないはずだ。しかし少女に目を凝らすと游娜はまた動揺し、ゆっくりとはさみを下ろした。少女の可憐な見た目に息が詰まりそうになったというのもあるが、彼女の身に纏っている白装束に気を取られたからでもある。
恐る恐る近づき、游娜は少女の傍でしゃがみ、彼女を一頻(ひとしき)り観察した。あまり陽射しを知らないような青白い肌はとてもきめ細かく柔らかそうで、顔についている波の雫は涙のように見えた。顔には幾筋かの切り傷がついていて痛々しい赤を呈しており、恐らく波に打ち上げられた時に鋭い石で切れたものと思われるが、それらの傷は少女の美しさを損ねるどころか、逆にいじらしさを際立たせている。少女に見惚れた游娜は何かを考える前にほぼ衝動的に自分の顔を近付け、少女と唇を重ねた。目を閉じると世界の全てが遠退き、波の音だけが遠くで木霊(こだま)する。冷たく柔らかい唇からは、海水の塩っぽい味がした。
唇を離すと、少女は悪夢にうなされるように瞼をきつく閉じ、両手で拳を握りながら、意味を成さない低い唸り声を発した。ややあって、ゆっくり瞼を開けると眩しそうに右手を目の前に翳(かざ)し、影を作った。游娜の存在に気付いたのはそれからだった。
「ノロ?」と游娜は訊いた。
もがきながら少女は身体を起こして游娜を見つめ、何度か瞬きをした。そして、
「ノロ?」と訊き返した。
「ノロの服着てるアー!」游娜はやや興奮気味に言った。「リー、ニライカナイより来(ライ)したに非(あら)ずマー?」
「ここ、どこ?」昏睡していたとき顔に表れていた寂しげな表情が色褪せ、代わりに少女の顔に浮かんだのは純然たる恐怖だった。「なんでわたしはここにいるの?」
「ここは〈島〉ヤー!」と游娜は答えた。
「シマ?」少女は怯える目で游娜を見た。「なんのシマ?」
「〈島〉は〈島〉ベー」
「わたし、なんでここにいるの? ……わたしはだれ?」
「リー、海の向こうより来(ライ)したダー!」
少し会話すると、二人が使っている言葉は似てはいるが微妙に異なっているということに、游娜も少女も気付いた。
「なにいってるかわからないよ」少女は混乱しているようで、両手で頭を抱えた。
「見ろ!」游娜は右手を上げ、眼前に広がる果てしない海を指差した。「ニライカナイ・ア!」
「やめて! わからない」少女はますます混乱したようで、激しく頭を振り始めた。「いたい! いたいよ!」
「痛い?」游娜が訊いた。「どこ痛い?」
「からだのすべてがいたい」少女は頭を振るのをやめたかと思うと、急に自分の両腕を抱え込む体勢になり、背中が小さく丸まった。「さむいよ!」
少しでも暖めてあげようと思い、游娜はしゃがんだまま少女の上半身を抱き締めようとした。が、少女はすぐさま游娜を振り払い、游娜は尻餅をついた。待ってて、すぐ人を呼んでくるから、と游娜が言おうとした矢先に、少女はぶるりと一震えすると忽ち動きを止め、またもや気絶して彼岸花の群れに倒れ込んだ。
この続きは、「文學界」3月号に全文掲載されています。
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