本の話

読者と作家を結ぶリボンのようなウェブメディア

キーワードで探す 閉じる
評論 椎名林檎論――乱調の音楽

評論 椎名林檎論――乱調の音楽

文:北村 匡平

文學界3月号

出典 : #文學界

「文學界 3月号」(文藝春秋 編)

序章 実践/演奏としての批評

1 身体感覚の衝動的音像――『正しい街』

 彼女の歌を初めて聴いたのは、高校の音楽室だったと記憶している。吹奏楽部を早々にやめて、バンド活動に励んでいた僕は、音楽室の隣にあったドラムが置いてある部屋に仲間と楽器を持って集まった。高校時代を思い返せば、好きに音楽に触れていられるその部室で過ごした放課後だけが、唯一の至福の時間だったように思う。そこにはCDラジカセが置いてあって、音楽に合わせてドラムを叩いたりギターを弾いたり、一押しの音楽を持ち寄ったりできた。その空間は、地方の退屈な日常に輝きが見出せる確かな場所だった。

 僕がその時期に入れあげていたのはレディオヘッドで、リリースされたばかりの『OKコンピューター』(1997)を聴いた時は脳天を撃ち抜かれたような衝撃を受けた。「渋谷系」に続く「小室ブーム」が日本のミュージック・シーンを席巻する中、彼らの暗く陰鬱で創造性に満ちた音楽は絶対的に信じられる正しい音楽だった。

 下関や小倉のレコード店を巡ってイギリスやアメリカのインディロックを掘り起こすことが生きがいだった僕にとって、洋楽こそが「本物」の音楽であり、日本の音楽は「紛い物」でしかなかった。その後、the band apartなどを聴いて覆されることになるのだが、明らかにその時の僕には日本のロックへの蔑視感があった。そういう洋楽コンプレックスは今と違って90年代の洋楽ファンには共有されていたと思う。だが、椎名林檎の曲が音楽室で流れた時、日本のロックにはなかった独特なグルーヴに一瞬で心を掴まれたことをいまだに鮮明に覚えている。日本的な音楽なのに日本的でない、そんな不思議な魅力に打ちのめされたのだ。

 椎名林檎の鮮烈なファースト・アルバム『無罪モラトリアム』は、力強いドラムとギターのフィードバックで始まり、続いてベースと歪んだギターとともにイントロに入る。そこに重ねられる叫ぶようなヴォーカルの歌声。エフェクトのかかったその声は、もはや楽器が奏でるサウンドといったほうがよい痛みをともなう音である。

『正しい街』と題されたその曲はサビ(コーラス)から開始される――〈あの日飛び出した此の街と君が正しかったのにね〉。椎名林檎の歌声が、歪んだサウンドを制圧し、リスナーの鼓膜へと突き刺さるようにやってくる。ミドルテンポのシンプルなロック・サウンド。一見、90年代に流行していたUKロックの単純なコード進行とメロディラインに聞こえるかもしれないが、十代で作ったとは思えない成熟した構成力と日本語の韻律の配置を感じさせる。

 Aメロ(ヴァース)とBメロ(ブリッジ)がホ短調(E minor)の暗い雰囲気で進行していく『正しい街』は、コーラスに入る瞬間にホ長調(E major)へと転調し、一気に明るくなって力強い音で鳴り響く。このような「同主調の転調」(主音=トニックが同じメジャー/マイナーの転調)は、たとえば『罪と罰』(Fm→F)や『病床パブリック』(Cm→C)でも使われている。『正しい街』ではサビに入る直前のB7のドミナント・モーションが自然とサビへの移行を促すが、それ以上に頭でホ長調のサビをワンフレーズだけ予告的に聞かせていることもスムーズな転調を助長している。冒頭では単にサビの8小節を歌うのではなく半分の4小節のみ。だからサビが来た時に、ただ繰り返されただけという印象はなく、突き抜けるような解放感を味わうことができる。

 だが、このサビに行く時のダイナミズムにはもう一つの巧みな仕掛けがある。Aメロ「不愉快」から入る1拍目(強拍)はシンコペーションで前の小節の弱拍に音がつながっているため、アクセントがずれて独特なリズムをかたちづくっている。1~2小節目と5~6小節目はミからソの狭い音域でメロディが繰り返される――〈不愉な笑みを向け長い沈黙の後度を更に悪くしたら 冷たいアスファルトにを擦らせて期はずれのあたしを攻めた〉。聴けば誰もが気づくように傍点(*)の部分はすべて「AI」で韻を踏んでいる。2番のAメロも同様で〈短い〉〈赤い〉〈疎外〉〈足らない〉〈近い〉〈理解〉とすべて「AI」のライムで文学的な表現がループする。

 ところが、リズムがずらされるのと同時に、意味的な日本語のコロケーションは切断されてゆく――「不愉快・な笑みを向け長い・沈黙の後態・度を更に悪くしたら/冷たい・アスファルトに額・を擦らせて期待・はずれのあたしを攻めた」。昭和歌謡や演歌、同時代のJ-POPとの決定的な違いは、彼女が母音が多い日本語の制約を解き放ち、意味を損なわないようにしながら(あるいはあえて損なわせながら)可能性を切り拓いた日本語の韻律の独特なセンスである。彼女の創り出す楽曲群は、外来の音楽=ロックと日本語をいかに融合できるかを通じて争われた1971年以降の「日本語ロック論争」に対する次世代アーティストからの一つのアンサーであったともいえるが、今は詳しくは触れない。

『正しい街』はBメロになるとスネアが4回の強拍に変わり、メロディも合わせて8分音符でロックのビートに戻る。そこから長調へと切り替わったサビへと一気に展開していく見事な構成になっているのだ。しかもイントロ2小節の単調なコード進行[C#m→B]と違って[C#m7→Cm7→Bm7]とセブンスコードで半音ずつ下がっていくアクセントが一連の流れに組み込まれて、ブラック・ミュージックのテイストを微かに感じさせる。


(*)傍点部分を太字に置き換えています。

 

この続きは、「文學界」3月号に全文掲載されています。

文學界(2021年3月号)

 

文藝春秋

2021年2月5日 発売

ページの先頭へ戻る