■わけの分からないままでいい
いとう これまで幾度も消滅の危機に晒されながらも伝統芸能はしぶとく生き残ってきた、という話を前編(一月号)ではしましたよね。そうしたサヴァイヴという観点から、まず、能の話をしたいです。能は明治以降、重厚な芸術というイメージでカムバックしてきている。でも、下掛宝生流能楽師の安田登さんの説によれば、江戸初期にはもうちょっとスピード感のある表現だったと思われる、と。能は、当時、一晩中やったりしたでしょう。一晩の時間は今も昔も変わらないわけだから、その晩に何の演目をやったのかという資料に当たれば自ずと、演目あたりの上演時間もだいたいわかるわけです。
九龍 そこから逆算していけば、今みたいにゆっくりやっているわけがない、と。
いとう そうです。今よりも、もうちょっとテンポが早かった。つまり、コンパクトで見やすかったわけですよね。でも、能はむしろ重たくやったほうがウケる、ということを近代以降の演者が分かって、いわばそのニーズに応えることで生き延びた。それが今の在り方の内実なんだということを知っていれば、じゃあ、もっとスピード感をもってやったらどういう話に見えたんだろう? という発想も生まれる。そうすると今と昔、ダブルの時間の中で作品を見ることができて、俄然面白みが増すんですよね。
九龍 前編で「伝統芸能はコロナ禍でも生き残る」と言いましたけど、一方で、能に関しては、この稀有な芸能をみんなで守らないといけないとも思っています。歌舞伎や他の多くの芝居は一つの演目で何回も公演が行われますが、能は一公演一回かぎり、一期一会なんですよね。今は、感染状況次第で、その貴重な一回すら中止になったりもする。文楽は国から助成があったり、歌舞伎は松竹という興行会社がバックについているからまだいいですけど、能の公演は個人の持ち出しであることも多いですからね。
いとう おそろしく高価な衣装だって何だって、全部自分たちで用意するわけですからね。それを初めて知った時はビックリしました。
九龍 その装束だって、例えばあるシテ方が「道成寺」を演じるために京都の西陣で仕立てて、でもまた次にそれを使う機会は何年も先だったりすることだって多い。その一度の公演すら飛んでしまう可能性があるのが、現在ですから。
いとう そういう上演形態も含めて、超アヴァンギャルドですよね。能管はわざとアンコントローラブルに作られているし、あとで話題になると思いますが、出来るだけ表象しないように演じられるとか。日本の中世に生まれたその前衛を、我々はもっと味わうべきです。文化に理解がない人は「現代の人間にとって意味がよく分からないものはなくなってもいい」みたいな短絡的なものの見方をしますが、いいんですよ。わけの分からないまま取っておくべきなんですよ。そういう風に作ってあるんだから。そもそも「現代の人間」なんて数十年の幅でしかない。
■能のライミングを訳す
九龍 せいこうさんは音楽の人でもあり、能の謡の稽古もされたりしていますが、興味関心が「言葉」に向かいますよね。現代語訳をたくさんされています。それが意外で面白くて。僕は、囃子方の楽器の感じとか音量みたいなものによって、舞台と見所にいる自分との相性が変わってくるところがあったりするんですけど、せいこうさんはむしろ、テキストに重きを置いているように感じられます。
いとう やっぱり自分は言葉の人間だから、どういうことを言っているのか、どういう発音をしているのか、みたいなことがまず気になるんでしょうね。極論すれば、テキストをどうするか、ということしか考えてない。
九龍 『夢七日 夜を昼の國』が顕著ですけど、せいこうさんの小説を読んでいると世阿弥を思い出すんです。あの人も王朝文学や和歌といった古典を膨大に参照しながら、掛詞を駆使して一つの言葉にいろいろな意味を何重にも詰め込んだりと、当時のカルチャーをむちゃくちゃマッシュアップした。
いとう テキストを使った超絶ラッパーだよね。でも僕は、長らく「能には触れまい」と思ってたんですよ。あの世界って、文化人における“上がり”みたいな感じがあるじゃん(笑)。なんか、能って言っておけばいいんでしょ、みたいな。それが絶対に嫌だったから、小唄とか浄瑠璃節を習ったりして、なるべく庶民の方に、町人文化の方に行くようにしていた。でもある時、能を聞いているとすごくよく眠れることに気付いたんですよね。それで、この心地よい低音はいったい何なんだろう? と気になってしまった。正直に言うと、今では能がやっぱりすべての芸能の基盤だと思っています。
(二〇二〇年十一月六日、文藝春秋にて収録)
構成 辻本力
撮影 平松市聖
この続きは、「文學界」3月号に全文掲載されています。