一方、これとは真逆の見方もある。沢村が活躍した昭和初期の男子百メートル走の世界記録は、手動計時で十秒三。これが、現在は電動計時で九秒五八まで伸びている。
日本プロ野球における最高球速は、二〇一六(平成二十八)年に日本ハムファイターズの大谷翔平が記録した百六十五キロ。大谷の身長百九十三センチ、体重九十五キロに対して、沢村は百七十四センチ、七十一キロだ。
時代による技術の進歩、そして体格差を考えれば、大正生まれの沢村が百六十キロの速球を投げたはずがない、せいぜい百三十キロ程度だろうという推測である。
しかし、この論争は水掛け論だ。なぜなら、沢村の球速を正確に算出できる客観的な資料が存在しないのだから――。
ところが、この状況が一変した。二〇一五年に、これまでないと信じられてきた全盛期の沢村が試合で全力投球する映像が発見されたのである。
たまたまNHKの『スポーツ酒場 語り亭 幻の“日本シリーズ”伝説の選手たち』の中でこの映像を見た私は、しばし茫然となった。
私は小学生時代から東京大学を卒業するまで野球に熱中し、その過程で法政大学の江川卓を始めとして幾多の素晴らしい投手たちと対戦した経験がある。社会人となってからも、一野球ファンとして多くの名投手を球場やテレビで目にしてきたが、その中でもこれほどしなやかで美しいフォームの投手を見たことがなかったからだ。
発見された映像には、この試合の対戦相手である大阪タイガースのエース・景浦将や、リリーフした戦前の大投手・若林忠志の投球も映っているが、いずれも歴史を感じさせる上体の力に頼った突っ立ち気味の手投げに近いフォームである。
この時代に、なぜ沢村が現代でもほとんど見られないほどの、全身の力を効率的に使った流れるようなフォームを身につけられたのか。にわかには信じられなかった。
これが私の独りよがりの評価でなかった証拠に、この番組の後半に登場して、スタジオのモニターで初めて沢村の投球を見た四百勝投手・金田正一は、感想を問われて、
「天才的に投げる要素を持っていたんじゃないかな」
「この左脚の引っ張りがね、天才ですよ」
「いいなあ、もう。まぶたに焼きつく、この人のフォーム。素晴らしい。今日は来た甲斐があった」
と、短いコメントの中に二度も「天才」という言葉を使い、絶賛したのである。
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