二〇二〇(令和二)年に亡くなった日本プロ野球史上最高の捕手・野村克也氏の著書『私のプロ野球80年史』(小学館)の冒頭、第一章1には、こんなタイトルがつけられている。
〈沢村栄治なかりせば、私もいない〉
沢村栄治(一九一七―一九四四年)。日本プロ野球における、その年の最高の先発完投型投手に贈られる『沢村賞』に名を残す職業野球黎明期の伝説的投手。その名は、野村氏の言葉を引くまでもなく日本野球史に燦然と輝いているが、実は沢村の職業野球における全盛期はわずか二年弱に過ぎない。
一九三六年から一九四三年(昭和十一―十八年)の八年間で六十三勝二十二敗。これが“不世出の天才投手”沢村栄治の職業野球における生涯成績である。
沢村と同時期に同じ巨人軍などで活躍したビクトル・スタルヒンが、通算で三百三勝(百七十六敗)し、一シーズンだけで四十二勝をあげた時代に、この数字は不世出と呼ばれる投手としてはまったく物足りないと言わざるをえない。
では、数字的にはこの程度の投手がなぜ『沢村賞』に名を残し、時代の異なる知将・野村克也氏をして〈沢村栄治なかりせば――〉と言わしめる存在になったのか。
それには、もちろん理由がある。
それを書くのが、本書の目的である。
もうひとつ、沢村栄治を書きたいと思った理由がある。
沢村はよく“ホップする快速球を投げた”と言われる。彼の短い全盛期の投球を目撃した職業野球の同僚やオールドファンの中には、「金田、江夏など問題にならん。ゆうに百五十キロは出ていた」と証言する人もいるし、ベーブ・ルース、ルー・ゲーリッグら、大リーグの歴史に残る強打者を集めた大リーグ選抜軍から三振の山を築いた投球から「百六十キロを超えていたに違いない」という意見もある。
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