亮の腕を軽く叩くと、彼は照れたように目線を落とした。細い黒のスキニーが膝の辺りでうっすらと皺を作っている。
「もう少し見てる?」
「あとちょっとだけ」
「分かった。他のところ見てるね」
鉄道模型を凝視している亮を置いて、佳奈はさらに奥へと足を進めた。奥は通路のようになっていて、その壁にはブリキ製のバケツが吊るされている。ドライフラワー、生花、鉢植え。それぞれに適した形で加工された植物が、壁を鮮やかに彩っていた。
通路の先には重々しい扉があり、クラシカルなデザインの銅製錠でしっかりと施錠されている。物置なのかもしれない。その横にはカウンターがあり、その奥にもいくらか空間があるようだ。住居に繋がっていると思しき扉もある。
もしかしたら店員はこの奥にいて佳奈達の来店に気付いていないのかもしれないが、買うものが決まっているわけではないのでわざわざノックするのは憚られた。
花も売り物なのだろうか。バケツにぼんやりと映り込む自身の顔を見て、佳奈はそっと髪を整えた。肩までの長さのボブヘアはきちんと内巻きのままだ。眉を隠す前髪を小指で軽く流し、佳奈はにやつきそうになる口元を軽く引き締めた。亮といるといつもこうなる。一緒にいるだけで幸せで、だからこそこんな日々がいつまで続くのかと不安になる。
シャツ越しに、気付けば自身の肘を掴んでいた。はっ、と唇から零れた吐息で、佳奈は自分が息を止めていたことに気付く。しんと静まり返った店内で、ブリキの列車がレールを走る音だけが響いている。
ぞっと肌が粟立つ感覚。沈黙が項を刺激した。
「亮」
咄嗟に佳奈が振り返ったのと、扉が開いたのは同時だった。先ほどまで店内で鉄道模型を眺めていたはずの亮が、気付けば入り口の前に立っていた。出て行こうとしているのではない。扉を背にし、彼はただこちらをじっと見ていた。まるでたった今この店に入ってきたばかりだとでもいうように。
見開かれた彼の目に、小さく水が張る。天井から吊るされた星を思わせるペンダントライトが、両目にある小さな海に光のさざ波を立てていた。
「……亮?」
尋ねた佳奈に、亮は唾を呑んだ。その顔色は随分と悪かった。蒼褪めた唇を動かし、亮は「佳奈」と静かに名前を呼んだ。
彼の手が、飾り棚に置かれた小箱を掴む。中に入ったシルバーのリングを手に取り、亮はゆっくりとこちらに歩み寄ってくる。二人の間に存在した距離はほとんどなくなり、二人は向かい合うようにして立ち並んだ。
「手を出して」
そう言った彼の声は、あまりに柔らかだった。心臓がドキリと跳ねる。
「こう?」
おずおずと手を差し出すと、亮は恭しい態度でその指先を掬い取った。水色のマニキュアが光る爪を、銀色のリングが通り過ぎる。星を思わせるガラスの粒があしらわれたシンプルなデザインのリングだった。
「これって」
顔を上げた佳奈に、亮は優しく微笑んだ。前髪の下で、少しやつれた両目が和らぐ。
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