プロローグ
昨日の夜、こっそりと塗ったマニキュアを可愛いねって褒めてほしい。
飾り棚に置かれたガラス瓶を手に取りながら、佳奈はちらりと隣に立つ坂橋亮の顔を見上げた。店内の飾り窓から差し込む光が彼の柔らかな髪に透けている。すらりと通った鼻筋、垂れ目がちな二重瞼、シャツに包まれた細い体躯。その全てが好きだと思った。
身体の内側で暴れ回る心臓の動きがバレないように、佳奈はそっと鼻で息を吸った。四月に相応しい生を漲らせる花の香りが店奥に設置された棚から漂っている。付き合って二年経つというのに、まだこんなにもドキドキしていることがバレたら亮は呆れるだろうか。
「店員がいないな」
店内をキョロキョロと見回し、亮が少し困ったように言った。そういえばどうしてこの店に来たんだっけ。夢の中にいるみたいに、前後の記憶があやふやだった。
「ここ、何の店だった?」
佳奈の問いに、亮はあっさりと首を竦めた。
「分かんない。佳奈が歩いてて入りたいって言ったんだろ? 『気になるから入っていい?』って言ってさ」
「そうだったっけ」
「そうだよ。それにしても変な店だよな、最近出来たようには見えないけど」
ダークブラウンを基調にした店内の柱は年季が入っていて、とてもじゃないが新築には見えない。入り口付近には飾り棚が、その足元にはラタン素材のカゴがずらりと並んでいる。棚に置かれているのは少し高級そうな品で、光沢のある将棋セットやアクセサリーが陳列されている。一方、カゴの方には近所の遊園地のマスコットキャラクターのキーホルダーや誰かが使った形跡があるレターセットなどのガラクタと思しき品が乱雑に押し込まれていた。
「分かった、アンティークショップじゃない?」
「俺にはリサイクルショップに見える」
「それって何が違うの?」
「さあ。名前の響きとか」
亮が歩く度に、スニーカーの靴底が床板を蹴った。佳奈はその後を追い掛ける。店内の奥で何かを見付けたのか、亮が急に足を止める。
「すげぇ」
「何が?」
彼の身体の横から、その先にあるものを覗き込む。そこにあったのは、巨大な鉄道模型だった。平面という意味でも立体という意味でも、複数のレールがあちこちで交差している。レールは鉄を思わせる銀色をしていて、その上をいくつものブリキの汽車が走り続けていた。それらはあちこちで交差しているが、決してぶつかったりしなかった。
「あ、なんか書いてある」
一台の列車を佳奈は指さす。黒のボディの側面に、金字で『Kassiopeia』と刻まれていた。
「店主の趣味だろうな」
「亮、こういうの好きでしょ?」
「うん、好き」
「素直だね」