マーサ 「ちくま」のエッセイの中では、『星の王子様』に関する文章(「ちくま」二〇二〇年八月号)がすごく面白くて……ちょっと読んでもいいですか。
星の王子様はあんな、あんなにも「星の王子様」なのに、星の王子様に起きることや星の王子様の気持ちがわかる、という瞬間がある、だからついていける。それがなければ、星の王子様はただの宇宙人となってしまう。
この部分がすごく好きでした。エッセイを読んでいても、確かにって納得することが多かったです。
最果 ありがとうございます。確かにって思うんですね。
マーサ 確かにってなりますね(笑)。『愛の縫い目はここ』に収録されている「真珠の詩」という作品の中に「生活のどこかに好きな瞬間があるなら、/そのことがきみの本当の遺言だ。」という一節があって、この詩に初めて触れたのは一昨日くらいなんですけど、自分の好きな瞬間が自分の遺言になるというのは、それも確かにって思いますし、この考え方に触れてから、走馬灯の一瞬に加えられる普通に生活している今の一瞬みたいなものを想像して、ちょっと涙ぐんでしまいました。
最果 言葉が、言葉だからこそ、異常に影響を与えてくる瞬間ってありますよね。読んでいて良いなあって思う詩って、その後の影響を予感させるというか。いつかこの一行を思い出すだろうなっていう瞬間があると、その時はよくわからなかったり全部つかみ切れてなかった詩でも、その詩を忘れきれなくなることが多いです。『雨をよぶ灯台』にもそういう予感をさせる一行がたくさんありました。いいなと思ったのは「小さな幻影と大きな幻影を追う」という詩。全部の行が、そういう予感を呼び起こさせる気がしたんですよね。これは昔から自分にとっての「現代詩」そのものの印象でもあるのですが、詩が自分への予言みたいに降りてくるというか、得体の知れない一行が、でも絶対に外せないぞという感じで現れることがあって、「小さな幻影」の詩はその瞬間を思い出させてくれました。
マーサ そうだったんですね。
最果 マーサさんの詩は物語的というか、物語的とはまた違うけど散文で、こう階段を登っていくように書かれている詩も多いですよね。その階段が急に途切れたりするのが面白い。「小さな幻影」の詩もそうですが、一行一行の風景がつながっていなくて、風景を辿っていたはずなのに違う風景にたどり着くことがある。でも何かそのまま読めてしまった時に、地続きの風景の中を生きている自分がそうじゃない可能性を実感するのではないかと思います。そういう感覚は、私が昔から好きだった現代詩の形に近いような気がします。この詩を好きな人のことは、信用できるって勝手に思います。握手したくなる。
(3月2日、Zoomにて収録)
さいはて・たひ 1986年生まれ。2004年よりインターネット上で詩作をはじめ、翌年より「現代詩手帖」に投稿をはじめる。06年、現代詩手帖賞受賞。08年、第一詩集『グッドモーニング』で中原中也賞受賞。『夜空はいつでも最高密度の青色だ』『恋人たちはせーので光る』などの詩集のほか、エッセイ集、小説作品、絵本、翻訳書など著書多数。近著に『夜景座生まれ』がある。
まーさ・なかむら 1990年生まれ。2014年より「現代詩手帖」に投稿をはじめ、16年に現代詩手帖賞受賞。18年、第一詩集『狸の匣』で中原中也賞受賞。20年、第二詩集『雨をよぶ灯台』を刊行、同詩集で萩原朔太郎賞を史上最年少で受賞する。5月30日まで、前橋文学館にて「変な話をしたい。異界への招待 第28回萩原朔太郎賞受賞者マーサ・ナカムラ展」が開催中。
この続きは、「文學界」5月号に全文掲載されています。
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