- 2021.06.10
- 書評
事件解決の鍵は車内の血染めのナイフ? 異色の観光列車を真っ先に取材した佳作
文:小牟田 哲彦 (作家)
『特急ゆふいんの森殺人事件』(西村 京太郎)
出典 : #文春文庫
ジャンル :
#エンタメ・ミステリ
「D&S列車」草創期の貴重な姿を伝える
それまで特急列車が走っていなかった路線に、その路線専用の観光客向け特急車両を新造していきなりほぼ毎日運行するという大胆な試みは、その後のJR九州における観光客向け定期列車の充実ぶりを見れば、大成功だったと評価できるだろう。同社では特定の区間を走る観光客向け列車を、それぞれ特別なデザインの車両と運行する地域それぞれのストーリーを持つ「D&S(デザイン&ストーリー)列車」(デザインと物語のある列車)と名付けて、今や九州各地で毎日走らせている。
その「D&S列車」に、デビューから30年以上が経つ「ゆふいんの森」が今なお看板列車として名を連ねているのは驚異的というほかない。ビジネス特急や通勤電車と異なり、同一人の定期的な利用が想定できない観光客向け列車は、リピーターの獲得とサービスの恒常的進化がなければ長く運行することは難しいからだ。
にもかかわらず、「ゆふいんの森」はデビュー以来30年間の利用客が六百万人以上を数える長寿の人気列車へと成長。平成11年には完全な新造編成を増備して、令和3年3月のダイヤ改正時点で初代編成も含めて三往復が定期運行されている。
個人的な体験談で恐縮だが、私が平成30年に「ゆふいんの森」に乗ったときは、自分がまちがえて外国人観光客の専用列車に紛れ込んだのではないかと錯覚するほど、乗客の大半を東アジア各国からの観光客が占めていた。実際、新型コロナウイルス禍の発生以前は、乗客の約八割が外国人旅行者だったという。近年はこうした海外からの観光客による根強い人気も、「ゆふいんの森」の長命を支えていたようだ。
ただし、平成11年に増備された編成は、本作品に登場する初代「ゆふいんの森」の意匠を基本的に受け継いでいるが、外観・内装とも細部に違いが多々ある。設計デザイナーが異なるから当然なのかもしれないが、国鉄時代であれば、同じ列車の車両は後から増備する場合でも同一形式を志向したと思われる。
初代「ゆふいんの森」も、30年の間に少しずつ姿を変えている。本作品では三両編成となっているが、デビュー翌年の平成2年に一両増結されて今は四両編成になっている。血のついたナイフが発見された車内のコインロッカーは、日本の鉄道車両内では初めての設備だったが、その後の車内改造で撤去されてしまい、現存しない。
かように本作品は、平成期の日本の鉄道史でまちがいなく一定の存在感を示してきた同列車が、まだ旅客の国際色も稀薄だった草創期の車内外の様子を伝える貴重な記録ともなっている。今も現役の同列車に乗るときは、本作品を片手に、ストーリーの追体験と当時の車内との新旧比較の両方を同時に楽しむことができるだろう。
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