- 2021.06.10
- 書評
事件解決の鍵は車内の血染めのナイフ? 異色の観光列車を真っ先に取材した佳作
文:小牟田 哲彦 (作家)
『特急ゆふいんの森殺人事件』(西村 京太郎)
出典 : #文春文庫
ジャンル :
#エンタメ・ミステリ
西村作品の名脇役によるスピンオフ的展開
本作品には、特徴ある列車を舞台にしているという点以外に、もう一つ、西村京太郎トラベル・ミステリーの異作品間の繫がりを感じさせる要素がある。それが、冒頭から登場し、本作品の展開に大きく関わっている私立探偵・橋本豊というキャラクターの存在である。
橋本は元・警視庁捜査一課の刑事で、かつて事件を起こして有罪判決を受けた、と本文の冒頭で紹介されている。実はこの事件、昭和56年に刊行された『北帰行殺人事件』(光文社)という、西村作品の中でも突出した高い人気を誇る長編作品で詳細に描かれている。本作品では、『北帰行殺人事件』の未読者のため、同作品の結末には触れないまま、橋本が同作品の中で有罪とされた事実のみを明らかにしている。
著者はこの作品で登場させたこの橋本というキャラクターが気に入っているのか、その後もしばしば別の作品に起用している。何しろ、『下り特急「富士」(ラブ・トレイン)殺人事件』(昭和58年・光文社)は、『北帰行殺人事件』で有罪判決を受けて網走刑務所に収監されていた橋本が出所したところから話が始まるのだ。『北帰行殺人事件』を読んだ者は、続編を読んでいるような気にさせられる。
その後、社会復帰した橋本が事件の中心となっている作品が、ほかにも多数ある。しかも、登場時の役割の重要性は、十津川警部と亀井刑事の二人以外に同僚や上司として登場する他の刑事や警察官よりも格段に大きい。冒頭で『北帰行殺人事件』に触れた本作品も、そんな橋本のその後を描いたスピンオフ作品の一つなのである。
西村京太郎のトラベル・ミステリーシリーズでは、十津川警部と亀井刑事の名コンビが常に物語の中心にいるわけではない。また、数多く世に出された作品の多くは、それぞれが独立した一つのストーリーとなっているが、すべての作品が常に他の作品と無関係に成立しているというわけでもない。本作品は、そうした西村京太郎ミステリーの世界が昭和末期から平成にかけて見せてくれた多様性や奥深さを、令和の世まで生き残った現役の伝統列車を肴に味読できる、稀有な存在と言えよう。
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