- 2021.06.10
- 書評
事件解決の鍵は車内の血染めのナイフ? 異色の観光列車を真っ先に取材した佳作
文:小牟田 哲彦 (作家)
『特急ゆふいんの森殺人事件』(西村 京太郎)
出典 : #文春文庫
ジャンル :
#エンタメ・ミステリ
列車に乗ることが単なる移動の手段ではなく、それ自体を主要な目的とする旅のスタイルが広く一般化したのは、平成以降のことである。
昭和時代の国鉄にも、お座敷車両やコンパートメント主体の欧風客車など、乗車することそのものを売り物にした車両は存在した。だが、それらの車両は多くの場合、団体客向けの貸切列車などで運用されたため、一般の旅行者が駅で切符を買って自由に乗れるケースは少なかった。
昭和62年に国鉄が民営化され、同時に旅客部門が地域ごとに分割されると、全国一元運営だった国鉄時代よりも身軽になったJR各社は、独自の旅客誘致戦略を徐々に展開し始める。発足当初は各社とも日本全国で均一化された国鉄の車両をそのまま受け継いで列車を走らせていたが、次第に大胆な改造を施したり、自社オリジナルの車両を新たに製造するようになった。
その先駆的存在とも言えるのが、本作品に登場するJR九州の「ゆふいんの森」である。
平成元年3月、博多から久大本線を経由して大分・別府との間を一日一往復する特急列車として運行を開始した。当時は久大本線には急行列車しか運行されていなかったから、中九州の主要観光地・由布院への特急列車の設定自体が画期的だった。建前上は臨時列車の扱いだが、デビュー初日から二ヵ月以上毎日運行されるなど定期列車に準じた頻度で走っていて、当初のJR九州の意気込みが窺える。
異例のオリジナル車両を真っ先に取材
久大本線での準定期運行による特急扱い以上に「ゆふいんの森」が異彩を放った大きな要因は、投入された車両が斬新な姿の専用車両だったことにある。
国鉄が製造した一般的な特急型車両は、日本中のどこの路線でも走れるよう、形状・カラーリングから内装や座席配置に至るまで、基本的にほぼ全国一律だった。日本中の車両が同じ設計なら大量生産によって製造コストが下げられるし、営業成績が芳しくない閑散列車の車両を他の地方の繁忙路線に転用するには好都合でもある。列車名やヘッドマークの図柄は、他の特急列車との違いを旅客に認識させる数少ない要素であった。
これに対して「ゆふいんの森」の車両は、「ゆふいんの森」という列車にのみ使用する専用車両として誕生した。正確には、昭和40年代に製造された標準型のディーゼルカーを改造したのだが、流用されているのは台車やエンジンなどで、旅客が乗る車体はほぼ新造されている。
本作品で著者は「外観は、アメリカ風」と形容しているが、オリーブグリーンのメタリック塗装に流線型を彷彿とさせる先頭車のレトロな曲線的デザインを、当時のJR九州は「ヨーロッパ・レトロ調」と謳っていた。車内の雰囲気も、著者が「アンティックで、天井の灯は、昭和初年の頃の列車の感じ」と表現している通り、外観のイメージとマッチした古風で落ち着いた佇まいを演出していた。
しかも、車窓が高い目線から見えやすいように、床を高くしたハイデッカー構造になっていて、窓が大きい。編成の両端は運転席が低い位置に設けられているので、高い位置にある客席から、進行方向と去りゆく景色が眺められる展望車となっている。全国どこへ行っても似たような形式の特急ばかりだった当時としては、かくも日本離れしたスタイルの特急列車は、かなりの異端児だったと言ってよい。
本作品は、「ゆふいんの森」の運行開始からわずか約四ヵ月後の平成元年7月に、『週刊小説』(平成13年休刊)で連載が始まっている。鉄道ミステリーの第一人者である著者は、九州に現れたこの異色のオリジナル特急に強い関心を抱き、デビュー直後に真っ先に取材して自作の舞台に取り入れたのではないだろうか。
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