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綿密な時代考証と大胆な物語。注目の歴史時代作家のデビュー作に刮目せよ。

綿密な時代考証と大胆な物語。注目の歴史時代作家のデビュー作に刮目せよ。

文:末國 善己 (文芸評論家)

『へぼ侍』(坂上 泉)

出典 : #文春文庫
ジャンル : #歴史・時代小説

『へぼ侍』(坂上 泉)

 といっても犬養は、社会を変えるために記者になったのではない。苦学生だった犬養は、藤田茂吉が主筆の「郵便報知新聞」で働きながら福澤諭吉が創立した慶應義塾で学び、藤田に西南戦争を取材すれば卒業までの学費を出すといわれ、現地に行っただけなのだ。決して新時代の“勝ち組”ではない犬養から、大学で社会のシステムを学ぶことの大切さと奥深さを聞いた錬一郎は、改めて勉学に励むのも面白いと考え始める。

 軍医の手塚は、“漫画の神様”手塚治虫の曽祖父にあたる良仙である。手塚は、適塾時代に福澤と交流を持っており、『福翁自伝』には、身持ちが悪く「北の新地」で遊び歩いていた手塚を諭したとの記述がある。薬問屋で働いた経験がある錬一郎は、手塚と話をするうち、医者になるのも悪くないとも思うようになる。

 犬養の師の福澤は道修町の近くにあった適塾で学び、同じ時期に手塚も通っていたなど、錬一郎はホームグラウンドで暮らしていた人物から薫陶を受けており、一つ一つの設定にも緻密な計算が施されていることが見て取れる。終盤には、前半の何気ない一文を伏線に用いたどんでん返しも用意されているだけに、衝撃を受けるのではないか。

 明治初期は「賊軍」だった旧徳川方にも武官の道が開かれていたが、錬一郎は陸軍幼年学校や海軍兵学校に入学できる時期に、商家の丁稚になっていたので時流に乗り遅れたと感じていた。バブル崩壊後の就職氷河期は、高校、大学を一九九〇年代半ば頃に卒業した世代から始まるが、その最初期は、遊び歩いていた先輩たちが楽に就職先を決めるのを見ていたので“なぜ自分たちだけが”という不満も大きかったようだ。

 ただ、わずか一年どころか数ヶ月の差でまったく違った状況になるのは珍しくはないので、自分の力ではどうしようもないタイミングと、押し留められない歴史の流れに翻弄され“負け組”になった錬一郎たちの不安と鬱屈に、我が身を重ねる読者は少なくないように思える。人生の逆転を賭け壮兵になった錬一郎たちは、激戦を経験するたびに成長し、沢良木がさらに料理の道に邁進し、三木が女房から軽蔑された金勘定で時代を切り開くなど、それぞれの得意分野で西南戦争後を渡っていこうとする。

「御一新」の“勝ち組”だった薩兵が「逆賊」になる皮肉な戦争に参加した錬一郎たちは、勝/敗があざなえる縄のように曖昧であると痛感し、真っ直ぐに目標に進めなくても、まわり道した先で積んだ経験は絶対に無駄ではないと知る。この展開は、“負け組”になっても諦めなくていいし、再チャレンジに遅すぎることなどないと教えてくれるので、現代を生きる「へぼ侍」たちに、前向きに新たな一歩を踏み出す勇気と希望を与えてくれる。その意味で、少子高齢化による人手不足などもあり就職活動が空前の買い手市場だったのが、二〇二〇年の新型コロナウイルス感染症の拡大で一転、先行きが不安になった時期に本書が文庫化された意義は大きいのである。

 旧徳川時代の武士のように武で世渡りしたかった錬一郎だったが、犬養に「パアスエイド」(説得)の大切さを教えられ、戦場では役に立たないと考えていた商人の交渉術で危機を脱したこともあり、剣や銃ではなく、弁舌で闘う新たな武士道に活路を見出す。近年は、事実や証拠を示さない極論を主張し、論理的に反論する人間は徹底的に揶揄して回答はスルーするなど、「パアスエイド」が存在しない言論空間がネットを中心に広がっている。それに影響されたり、実践したりする政治家も現れ、「パアスエイド」なき社会がこの国の将来を左右する危険が出てきた今、著者が錬一郎の導き手に犬養を選んだ理由も含め、本書のメッセージは真摯に受け止める必要がある。

 著者は二作目として、一九四九年から一九五四年まで実在した大阪市警視庁を舞台に、中卒で叩き上げの新城と東京帝大出のエリート・守屋という対照的な相棒が、被害者が頭部に麻袋をかぶせられる連続殺人の謎を追う本格派の警察小説『インビジブル』を発表、惜しくも受賞は逃したが第一六四回直木賞の候補になり、第二十三回大藪春彦賞と第七十四回日本推理作家協会賞の「長編および連作短編集部門」を受賞した。短期間で飛躍的に成長した著者の今後の作品にも、注目して欲しい。

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