昨年『へぼ侍』で松本清張賞を受賞した坂上泉さんの待望の第2作『インビジブル』。戦後大阪で起きた連続猟奇殺人事件を捜査する刑事たちのサスペンスを軸に、戦争に翻弄された人々の癒えない傷を描いた歴史エンタメの発売を記念して行われた、著者インタビューを公開します。
舞台は幻の「大阪市警視庁」
――西南戦争を敗者の側から書いた時代小説の『へぼ侍』から一転、『インビジブル』は戦後の一時期だけ実在した「大阪市警視庁」の刑事たちが活躍する警察小説です。
坂上 大学時代にたまたま読んだ本の中に大阪市警視庁の名前が出てきて、名前の格好良さもあって少し心に引っ掛かっていたんです。2作目で昔住んでいて思い入れのある大阪の戦後を書こうと決めたとき、あのとき知った大阪市警視庁がうまく繋がりました。
――「大阪市警視庁」とはどのような組織だったのでしょうか?
坂上 敗戦後、戦前の警察機構は非民主的勢力の拠点と見なされてGHQに解体されたあと、市町村によって運営されるアメリカ式の自治体警察(自治警)と、自前で警察を持てない零細町村部をカバーする国家地方警察(国警)の二つの警察組織に改編されました。そのうち、昭和24年に発足した大阪市の自治警が大阪市警視庁です。もともと東京の警察のことを指した「警視庁」と名乗るあたり、東京に対抗する都市としての自負が感じられますよね。
GHQは自治警を市民に寄り添う「民主警察」とすることを目標としていたのですが、実際に始めてみると多くの市町村には財政上の大きな負担になってしまったり、地域をまたいだ事件になるとうまく連携が取れなかったりして、昭和29年には自治警と国警の二本立てを解消して国が全国都道府県警察を統括することとなりました。
――物語の舞台を昭和29年とされた理由はありますか。
坂上 大阪市警視庁がなくなって大阪府警に合流するのが昭和29年だったからです。ただ、今から考えると昭和29年って現代へと続く分水嶺みたいな時代なんですね。自衛隊法ができたのは昭和29年ですし、ビキニ環礁で水爆実験が行われて『ゴジラ』が撮られます。
翌年には政治の55年体制が生まれたり、日本共産党が武装闘争路線を捨てて議会路線に転換しますし、経済白書で「もはや戦後ではない」と書かれるのは昭和31年です。
ちょうど昭和29年を境に日本の経済とか社会がガラッと変わるんです。
――実際に調べたり、書いたりしてみて昭和29年の印象は?
坂上 いまの私たちが思っているよりも物騒な時代だなと思いました。暴動事件がとても多かったですし、共産党の革命路線もあってゲリラ闘争もありました。水爆実験もそうですし、明日にも革命が起きるんじゃないかという危うい時代だったんだなと。