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(第4回)4 絵と詩と歌

(第4回)4 絵と詩と歌

文:岩井 俊二

岩井俊二『零の晩夏』


ジャンル : #小説

「就職したら、好きなことはできない……ねえ。俺がそんな話を君にしたかどうかは、ちょっと憶えてはいないけどさ。そんな話をした可能性はまあ、あったんだろうなあとは思うよ」

「どういうことですか?」

「まあ、そういうことを日頃から思ってはいるからね」

「あ、そうなんですか」

「そうだね。俺は就職してないのね。大学時代にさ、友人たちと自主サークル作って映画撮ったりしてさ。楽しかったわけよ。なんかそういうことが永遠に続くような気がしたね」

「アオハルだ」

「まあね。でも俺はさ、みんなが俺と同じように、ずっとこういうことをして暮らしたいと思ってんだろうと、勝手に信じてたわけ」

「あ、その話でした!」

「あ、そ?」

「すいません。続けてください」

「もう聞いたんでしょ? この話」

「ちょっと私も酔ってたので、ぼんやりとしか覚えてません」

「まあ、つまりさ、みんな映像作ってさ、学生時代でも、社会に出てもさ、何も変わらず、こうやって、学生時代はまあ趣味だけど、プロになったらそういうことでお金も自然と儲かってさ、嫁さんもらって子供作ってさ、それでも同じことを続けてるみたいなさ。それがCMだったり、ドラマだったり、映画だったり、まあもちろん学生の映画ではないからね。勝手気儘(きまま)にはゆかないけどさ。そんな風になるんだろうなあというのが、俺たちの将来のイメージでさ。まあそこにみんなが一致しなくてもね、なんとなく近い感じなんだろうと高を括ってたわけ。映像だけじゃない。音楽やってる仲間もいたしね。芝居やってる奴もいたし。でもみんな夢を追いかけていたし。夢を語ってもいた気もしてたし。でもみんな、よくよく思い出すと、誰一人、将来この道に進みたいって言ってたわけではなかったわけ。気がついたらみんな普通に就職してさ。普通に社会人だ。本気だったのは俺だけ? みたいな。あれ? そうなのって感じですよ。正直。肩透かしもいいところ。それだけじゃない。気がついたらみんな俺から離れてゆく。俺は浮いた存在だったんだ。いつか南極行ってみたいって奴がいた。そいつは矢鱈(やたら)に女にモテた。俺の夢は映画を作ることだった。自分の映画を作りたい。しかし、これだと何故か女にモテないんだよ。そんな話してると女の方から去ってゆくんだよ。どうしてだと思う? おい何笑ってんだよ。こっちは真剣な話してるんだよ。お前もわかるんだろ! 女だからさ。去るだろう、普通。そうなんだよ。真面目に夢なんかを追いかけちゃいけないってことなんだよ。これは真理だ。女が一番キライなものってさ、リスクなんだよ。だからさ、いっそ極端にさ、南極行ってみたいぐらいの法螺話(ほらばなし)の方がさ、かえって丁度よく女にモテるわけさ。さすがに本気じゃないだろって思うからさ。ところがね、そいつが本気で南極の極点を目指して準備とかし出したらさ、女達は離れてゆくんだよ。何の話だっけ?」

「就職です」

「そうそう、就職、就職。何笑ってんだよ。だろ? 真理だろこれ。笑い過ぎだよお前」

「森川さんの話し方が面白いだけですよ」

「なんだそれ。まあいいや。就職ね、就職。いや、就職がいけないって話ではないよ? 大学を選ぶのも、サークルを選ぶのも、就職先を選ぶのも、それぞれの人生だからね。それはわかる。ただ、逆にここまで来てね。俺ももう五十目前だけどさ。改めてあの就職って奴はなんだったのかと思うんだよね。世が世なら、ありゃ徴兵みたいなものじゃなかったのかな? 判らんよ? 俺は就職しなかった身だからさ。でもなんか卒業のシーズンを迎えて、かぐや姫が月に帰らなきゃいけないみたいにさ、ある種の諦観でもってさ、その道を選んだ奴も多かったんじゃないのかなってね。就職とは、徴兵。決して自由が認められているわけじゃない。自由とか民主主義とか言ったところで、みんな社会に出る時に、その自由とか民主主義をさ、いったん捨ててしまってないかい? 会社っていう組織というか国家に召し上げられちまってやしないかい? まあそんな風に思ったりするんだよね。だって会社はさ、採用した兵隊を、決してそいつの行きたいところに自由に行かせるはずがないじゃない? それはもう会社本位で社員を各部署に配属するわけでさ。つまり自由なんかないんだよ。民主主義でもないんだよ。会社に就職しなくたって、賃金を受け取ってる時点で職に就いてるわけで、そういう意味ではフリーランスにしたって自由なんてないんだよ。誰もがみんなロボットと化して、会社とか社会のために一生懸命働かなきゃならない。好きとか嫌いとか言っちゃいらんない。よく言われただろ? 好きとか嫌いとか言ってる場合じゃないって。仕事なんだからって。好きも嫌いも言えないってどこが民主主義なんだい? そんな会社の奴隷みたいな立場のどの辺が民主主義なんだい? そこら辺がよくわかんねえんだよ。職業選択の自由はあってもさ、選択した職場の中にどれだけ自由が残ってるんだい? そこが自由気ままでいいんだったら会社の中が学級崩壊だ。自由気ままでいられるのなんてさ、家の中だけだろう。家の中だけの自由主義、家の中だけの民主主義。なんだよ。それって旧東ドイツとあんまり変わらないんじゃないか? ベルリンの壁が壊される前のさ。まあ長くなったけどね、そういう意味で就職と、好きなことをするってことは相反する関係ってわけだ」

「なるほど。あの時も、その話でした。で、その理由とは?」

「いや……理由も含めて今話したつもりなんだけど」

「え? そうですか? なんか全部あの時聞いたようなお話だったので」

「これ以上話す話はないかなあ。まあ、もうひとつ付け加えるならば、就職って、要するに福袋さ。中身は判らず買うんだよ。わかってるのはその福袋を売ってる店の店構えだけっていうね」

「なるほど。福袋の喩(たと)えは腑に落ちます」

「そうだろ? ところで君はどんな福袋がいいんだい?」

「福袋ですか? 広告よりもっと美術寄りの福袋がいいと思ってるんです」

「美術?」

「もともと絵を描くのが好きで。高校時代も大学時代も絵ばかり描いてました」

「そうだったんだ。じゃあ、代理店なんてしんどいよな、きっと」

「得意ではなかった気がします」

「そうだなあ。美術……美術……俺の知り合いが美術雑誌の編集やってるんだけど、よかったら紹介するよ?」

「え? 本当ですか?」

「こんな俺の意味不明な就職論を聞いて帰ってもらってもさ、なんの足しにもならないだろうからさ」

「ありがとうございます!」

「ま。福袋だけどね」

「あ……はい……でも、ありがとうございます!」

 というわけで、私はその翌週、森川さんに紹介して頂いた美術雑誌のご友人を訪ねて、面接を受けることになった。その出版社、さざなみ書房は渋谷区広尾にあった。四階建ての建物だった。予約時間は午後三時。私は十五分前に四階を訪ねた。女性スタッフの方が笑顔で応対して下さった。

「あ、面接の方ですね。冴崎から聞いてます。本人まだ出社してないので、少し待って頂いていいですか?」

 パーテーションで区切られた狭い応接スペースに案内され、「暫(しばら)くお待ち下さい」と言われ、本当に暫く待たされた。三時を過ぎ、更に二十分ほど過ぎた頃、スタッフの方が一度顔を出し、テーブルの上に、私の履歴書を置いて立ち去った。それから更に二十分ほどして、別な女性スタッフの方が一度顔を出し、「編集長、もうすぐ来るから」と教えてくれた。それから三十分ほど過ぎた頃、フロアに飛び込んできた派手な靴音が聞こえ、パーテーションから顔を出した人物が、私を見つけて、「どうも、どうも、遅くなりました」と向い合わせのソファに腰を下ろした。私は入れ替わりに立ち上がると、最大級のお辞儀をして、自己紹介をした。

「はじめまして。八千草花音と申します。二月に広告代理店ウィリアム・ウィロウズを退社いたしまして、CMディレクターの森川さんから御社を紹介していただきまして」

 面接官の男性は名刺を取り出して、私に差し出した。

 季刊誌 絵と詩と歌 編集長
 冴崎柚子流(さえざきゆずる)


 珍しく名前にルビが打ってある。この面接官が美術雜誌の編集長のようであった。

「キラキラネームでしょ。でも本名」と苦笑いする冴崎編集長。

「ありがとうございます」

 私は名刺を持ったまま一礼し、慣用句的にこんなことを口走ってしまった。

「すいません。わたくし今、名刺を切らしておりまして」

「いや、あるわけないっしょ。今、君、プータローでしょ?」

 馬鹿なことを言ったかも知れない。顔が赤くなるのがわかった。あの時は動転して気づかなかったが、それにしても初対面の人間にプータローとは何と不躾(ぶしつけ)な人だろう。

「あ、ここにあるじゃない! おっきな名刺が!」

 そう言って編集長はテーブルの上から私の履歴書をつまみ上げ、目を通し始める。私は、腰を下ろそうか迷ったが、なにか言われるまでそのまま立っていることにした。

 私は履歴書の備考欄に、好きな画家、マリー・ローランサン、マルク・シャガール、そして零と書いた。編集長の視線はやがてその箇所に届く。

「零(ぜろ)……?」

「日本の画家です」

「どんな人?」

 私はヒカリノ森美術館で買った図録を鞄から出し、『晩夏』のページを開いて手渡した。

「この人です」

 冴崎編集長がその絵を眺めた時間は数秒もなかった。図録の他のページをめくりながら、「最近の作家さん? シャガールとか、マリー・ローランサンとはまた違う趣味だね」と言うと、再び『晩夏』のページに戻り、私に訊ねた。

「で、どの辺がいいの?」

「この絵ですか? うーん。言葉にするのは難しいんですが」

「それを言葉にする仕事をしてるから。僕ら」

「あ、そうですよね」

「あ、座って座って」

 そう言われて私はソファに腰を下ろした。

「さて、どの辺がよかった?」

「そうですね……まず、ひと目見て感動しました。名画だと直感しました」

「感動! 名画! どの辺が?」

「うーん。どの辺と言われても。全体的にですけど」

「女の子はかわいいけどね」

 冴崎編集長の、その言葉に、心臓が止まりそうになった。心が傷つけられたような、そんな感覚が、自分でも意外だった。

「でもさ、写真そっくりに描かなくてもいいと思うんだよね。まあつまり職人として、絵がうまいってところを見せたいんだろうけど、写真そっくりに描くことに美術的価値なんかあるんだろうか?」

 言い返したかったが、すぐには返す言葉が見つからなかった。編集長は更に畳み掛けた。

「正直、巧さ自慢だけじゃさ、芸術とは言えないよね。とはいえ最近はリアルな美人画がちょっとしたブームではあるんだよ。必ずどっかのギャラリーでかかってるよ。ネットでバズりやすいというのもあるんだろう。わあ! 写真みたいだ、ってのは一般人にとってはわかりやすい」

 編集長は、図録を閉じて私に差し出した。はい、不採用。そう言われたような気がした。私のことならいい。私の愛した絵が無下にされたのが苦しかった。私は立ち上がった。一刻も早く、この場を去りたかった。

「あれ? どうしたの? トイレ?」

「帰ります」

「え?」

「この絵は、そんな絵じゃないです! 私は本当に感動したし、それをうまくは表現できないけど、そんな風に言われて、傷つきました。ここでは働けません」

「え? そうなの?」

「ごめんなさい。せっかくお時間頂いて、失礼かとは思いますが」

「その傷ついたってところを解説願いたいところだが」

 私は唖然とした。何だろう? この人、私が傷ついたってことを面白がってる。

「今、どうして写実画なんだい? どうしてこれをいいと思えるのかね? 我々人類はルネッサンスだのバロックだの新古典主義だの写実主義から脱却して、印象派だのフォーヴィスムだのキュビズムだのアプストラクションだのミニマリズムだのポップアートだのと進化して来たんじゃなかったんだっけ?」

「何言ってんですか! そんなのもう全部古いですよ! 今やもう世界はスマホなんで。インスタなんで。写真がネットでビュンビュン飛び交う時代ですから。誰もが高解像度の写真を瞬時に撮れてしまう時代です。こんな時代だからこそ、そこにはまた別な価値観や表現方法が生まれてきて当然であって」

「だったら尚更さ。写実の出る幕なんかないだろう」

「逆ですよ」

「逆?」

「写真のなかった時代、少なくともカラー写真がまだなかった頃は、絵描きがゆっくり時間をかけて仕上げるものの中にしか、カラーの絵はなかったわけですよ。それが当たり前だった時代というのは、絵はとっても時間のかかるもの、貴重なものだったわけですよ。ところが今は誰でもそれを瞬時にやってのける。瞬時に転送すらやってのける」

「だからさ、そこに写実の入り込む余地があるのかねって訊いてるわけ」

「人の話をちゃんと聞いてくださいよ。こうなると、絵師がゆっくり時間をかけて描くという大いなる手間は? 無駄ですか? 意味ないですか? 生活には必要ないですよね。でも、だからこそですよ。そもそも芸術なんて生活に必要なものじゃない。むしろ現実から遊離した、異世界なわけですよ。そして芸術にはもうひとつ特徴がある。希少なものほど価値があるんですよ。だからつまり……」

 そこで我に返った。このひとを相手に私は何を熱く語っているんだ。いったん落ち着くと、何を言いたかったのかさえ判らなくなってしまった。

 帰ろう。

「失礼しました」

 私は一礼して、その場を立ち去った。エレベーターに乗り、そして降り、建物から飛び出し、横断歩道を渡り、その先のカフェに飛び込もうとして、ドアの前ではたと足を止めた。まずい。ぐしゃぐしゃに泣いているではないか。こんな状態で店に入ったら何かと思われる。私はひとまず建物の傍らに居場所を探して、そこで涙を拭った。それにしても一体いつから泣いていたんだろう。それが想い出せない。でも熱く語っている最中に何度か涙や鼻水を手で拭ったような気がしてきた。なんという醜態。

 窓ガラスを鏡代わりにして自分の顔を眺めていると、ガラス越しにお客がやってきて、目の前のカウンターテーブルに座りそうになったので、慌ててその場を離れた。仕方なく駅に向かって歩いた。面接は大失敗だ。帰るしかない。それにしてもなんだろう。我ながらこの反応には驚いた。それほどまでにあの絵が好きだったのか。あるいは会社を辞職した後遺症で精神的に不安定だったというのもあるかも知れない。いくらなんでも短気が過ぎる。森川さんになんて謝ろうか。

 電話がかかって来た。スマホを見ると未登録の電話だ。すぐには出なかった。駅前に着き、地下通路に入る前にスマホをもう一度確認する。留守電が入っていた。聞いてみると、冴崎編集長からだった。

「申し訳ないが、電話ください。あるいはこの番号にショートメールでも」

 私は恐る恐るショートメールを送ってみる。謝れるなら、謝っておこうかと思った。

[先程は失礼致しました]

 それだけ打って送ってみた。電話が鳴った。慌てて出る。

「ごめん!」

 電話の向こうから大きな声がした。冴崎編集長である。

「いや、本当に申し訳ない。ちょっと質問が意地悪過ぎたよね」

「いえ、もういいんです。私こそすいません。なんか最近ちょっと情緒不安定で。大丈夫です。すいません」

「泣かしちゃって、本当に、なんと言っていいかわかんないんだけどさ。こんなこと言っていいのかわかんないんだけど、君がよければ、どう?トライアウト。正規社員としては雇えないんだが」

「え?」

 驚いて涙も止まった。

「私が泣いたからですか? 同情ですか? そういうのは逆にちょっと嫌ですよ」

「いや、そこは関係ない関係ない。その前から採用する気でいたから。零についてどこまで知ってるのか試したくてね。それであんな意地悪な質問をしてしまった。で、君、零のこと、どこまで知ってるの?」

「どこまでって……あの絵を見ただけです」

「他には?」

「知りません」

「そうなんだ……そうか」

 編集長はどこか残念そうだった。小さくため息をついた。

「我々の間でも評判になってるからね。零の『晩夏』は。僕も大好きですよ。君がそれをどう言葉で表現するかを確かめるためにね、わざと挑発してしまいました。まあでも君もあの絵をひと目見ていいと思ったんだろうから、見る目に間違いはないですよ。おまけにあの演説にはなかなか説得力があった」

「あれは口から出任せです」

「いや、あれは魂の叫びと解釈しておこう。というわけで、君が良ければトライアウトを。あとは、あなたが決めてください。このまま去るもよし、トライしてみるもよし。心無い言葉で、傷つけてしまったことは、本当に申し訳ない。心にも無い言葉でした。僕にとっても」

「あの、トライアウトって何をしたらいいんですか?」

「企画だね、企画。雑誌に載せられる企画探して送ってよ。面白そうだったら、そこから記事を書いてもらう。記事の出来栄えがよければ、雑誌に載せる。どう? 広告代理店で企画やってたんでしょ? 朝飯前でしょ?」

 そこはあまり自信がなかったが、魅力的な仕事だとは思った。かくして、トライアウトという条件ながら、私は辛くも次の職場を見つけることができた。

 それが今の私の職場である。

 



岩井俊二

1963年生まれ、宮城県出身。『Love Letter』(95年)で劇場用長編映画監督デビュー。映画監督・小説家・音楽家など活動は多彩。代表作は映画『スワロウテイル』『リリイ・シュシュのすべて』、小説『ウォーレスの人魚』『番犬は庭を守る』『リップヴァンウィンクルの花嫁』『ラストレター』等。映画『New York, I Love You』『ヴァンパイア』『チィファの手紙』で活動を海外にも広げる。東日本大震災の復興支援ソング『花は咲く』では作詞を手がける。映画『花とアリス殺人事件』では初の長編アニメ作品に挑戦、国内外で高い評価を得る。2020年1月に映画『ラストレター』が公開、同7月には映画『8日で死んだ怪獣の12日の物語』が公開された。

単行本
零の晩夏
岩井俊二

定価:1,980円(税込)発売日:2021年06月25日

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