本の話

読者と作家を結ぶリボンのようなウェブメディア

キーワードで探す 閉じる

歴史の記憶法――惜しまれつつ世を去った半藤一利さんのエッセイ集第二弾

出典 : #文春新書
ジャンル : #ノンフィクション

歴史探偵 昭和の教え

半藤一利

歴史探偵 昭和の教え

半藤一利

くわしく
見る
『歴史探偵 昭和の教え』(半藤 一利)

 世にはものすごく記憶力のいい人がいる。先日も、そのひとりに入るわが友が得々としていった。

「四月二十三日は、シェイクスピアの誕生日でもあり亡くなった日でもある。知らなかったろう。じゃ、生まれた年と死んだ年は? となると、これは、こういって覚えるといい。ヒトゴロシイロイロ」

「何だい、えらく物騒な話だな」

「ハハハ、一五六四年生まれ、没したのが一六一六年。それで、人殺しいろいろということになる」

 なるほどネ、と一応は感服したが、ついでにわが中学時代、そんなゴロ合わせのような覚え方で、歴史の授業をうけさせられたことが、否応なしに想いだされてきた。

 たとえばコロンブスの新大陸発見は一四九二年。これは「“イヨー国”が見えたぞオ」と覚えた。その新大陸のアメリカが合衆国として独立したのが一七八三年である。これは「“悩み”は終った、USA」であったと思う。

 さらにはナポレオン軍がロシアに遠征した。が、雪将軍に阻まれてモスクワ占領ならず、全面的に退却する。この歴史の転換をもたらしたのが、一八一二年。この記憶法はたしか「“一敗に”退くナポレオン」ではなかったか。

 日本史の授業でも、同じ調子で年号を頭に叩きこませられた。日清戦争が一八九四年。これは「“躍進”! 日本」であり、日露戦争の一九〇四年は「“連勝”日本、日露戦争」ではなかったか。もうひとつ、日中戦争勃発は一九三七年、「“みんな”で万才、支那事変」であった。

 いまになって考えると、こんな風に歴史を結局は暗記物として習ったから、記憶力の乏しいこっちには、およそ中学校の授業で国史、東洋史、西洋史(戦前はこう呼ばれていた)ほど、クソ面白くない時間はなかった。

 そもそもは歴史は人間がつくるもの。ダイナミックに英雄や豪傑や美人をちりばめて進んでいくものなのに、平板な、年号が大事な、うんざりな暗記物として、さあ覚えろ、覚えろと強制されては、だれだって早目に逃げだしたくなってくる。記憶力のいい奴が点をかせぐだけの退屈な授業であった。

 歴史は昨日、今日、明日とえんえんとつながって、それこそ疾風怒濤、波瀾万丈、有為転変と展開していくもの。それをポッキリ、ポッキリ切りとって年号を覚えさせられても、ほんとうの歴史はわからない。日本人が歴史を知らない民族といわれるゆえんはそこにあった。いまは改善されたかどうか、知らないことだが。

(二〇一二年十月)


(「まえがきに代えて──歴史の記憶法」より)

文春新書
歴史探偵 昭和の教え
半藤一利

定価:924円(税込)発売日:2021年07月19日

ページの先頭へ戻る