- 2021.07.22
- インタビュー・対談
半藤一利・宮崎駿が語る「持たざる国」の将来のこと
半藤 一利 ,宮崎 駿
文春ジブリ文庫『半藤一利と宮崎駿の 腰ぬけ愛国談義』(半藤 一利 宮崎 駿)
ジャンル :
#ノンフィクション
2013年8月に刊行された『半藤一利と宮崎駿の腰ぬけ愛国談義』は、世界の宮崎駿監督が書生となって、敬愛する半藤一利さんと語り下ろした貴重な一冊です。その中から「『持たざる国』の将来のこと」を特別公開です!
「持たざる国」の将来のこと
宮崎 近頃、年をとったせいかぼくなんかもよく「この国はどうなるでしょうか」と聞かれるんですよ。若い人たちはやたら「不安だ、不安だ」と言うんですが、ぼくは「健康で働く気があれば大丈夫。それしかないだろう」と言い返しています。「不安がるのが流行っているけど、流行に乗っても愚かなる大衆になるだけだからやめなさい」と。「不安なときは楽天的になって、みんなが楽天的なときは不安になれ」とね。よくわかんないけど(笑)。
半藤 でも、大丈夫ですか、ほんとうに。
宮崎 いや、それはですね、まあ過疎地がいっぱいできるでしょうね。でも、過疎になりきったら、今度は入ってくる人間たちが出てくると思う。食い物がなくなったら、ひとは農業をやりますよ。クマやサルがいっぱい出てくるようなところになっても、しようがないから、そこで農業をやるようになると思います。人数は減るけれど、でも、年金のために子どもを産まなきゃいけない、なんて発想だけは、絶対やめたほうがいいですね。
半藤 ほんと、その発想はいったい何なんでしょうかね。
宮崎 ばかげた発想です。違いますね。年金のためじゃなく、女性は子どもを産んだほうがいいです。将来が不安だったら、子どもを抱えたほうがちゃんと生きられると思います。隣りに保育園をつくっていちばん得をしているのは、じつはぼくなんです。どんなに陰々滅々となっても、子どもたちの顔を見ると「よしッ、気を取り直さなきゃ」と思うんですよ。「君たちの未来は真っ暗だ」なんて言えませんからね。
半藤 子どもに絶望は語れませんね。
宮崎 語れない。ほんとうにそれは語れません。子どもたち見ると、自分たちが役に立つならば、なんとかして役に立ちたいと考えますから。
半藤 だから年金のためなんかじゃなく、自分たちがちゃんと生きていくために、そして将来を託すために、子どもを抱えてほしい。
宮崎 で、苦労したほうがいい。消費生活だけしていたって、ろくなことはないですよ。そう思いませんか? じつはぼく、人類のことを考えて、子どもをつくるのは二人でやめたんですよ。友人の高畑勲監督が三人目をつくったときに「ルール違反じゃないか」と責めたら、「いや、申しわけない」とかってぼくに謝りましたが(笑)。ぼくはあとで後悔しましたね。三人でも四人でもつくっておきゃよかったって。
半藤 なんとかなるんです、ほんとはね。
宮崎 ですから「この生き方が正しい」なんて、そんなことは決めないで、いろいろでいい。困るときは、みんなで困るしかないんです。オタオタするなら、みんなで一緒にオタオタするしかない。
半藤 では、あの映画を見た人になにを学んでほしいとお考えですか。
宮崎 堀越二郎は力を尽くしました。最後の瞬間まで軍需省と戦い、このエンジンでは求められる出力は出ないとわかっていながらも、時代遅れの飛行機を一生懸命つくっていた。しかも名古屋には敗戦直前に大地震があって……。
半藤 そう、昭和東南海地震というのがあったんですよね。昭和十九年(一九四四)十二月七日でしたか。
宮崎 ええ。それでもうなにもできなくなる。そのとき堀越二郎は、すべてから見放された設計技師でした。ですから、そこからなにを学ぶかといったら、負け戦のときは負け戦のなかで一生懸命生きるしかない、というようなことでしょうか。半藤さんはさっき「大丈夫ですか、ほんとうに」とおっしゃいましたが、いま日本では着るものも食うものも自分ではつくっていませんね。そのことは、あんまり大丈夫じゃないなあ、と思っています。三本百円のバナナをいったい誰がつくっているのか……。
半藤 よその貧しい国の人がつくっているんですね。
宮崎 はい。自分が食べるものを自分ではほとんどつくっていません。しかもいまの日本人には、この国には資源がないという発想がない。
半藤 ないです。自活できない国だと思ってもいない。
宮崎 それ、おかしいですよね。
半藤 明治開国いらい、自分の国がいかに「持たざる国」かという発想がありません。残念ながらいまの日本人にはもっとなくなってしまいました。
宮崎 でも、緑と水だけはある。二十一世紀の主要な資源は水だと主張する学者もいます。水道の蛇口をひねるとジャーッと水が出てくるから、これが主要な資源と言われても、と思われるかもしれませんが、でも、ほんとうにそうらしいです。いずれにしても、もしこの先困るようなことになったら、みんな一緒に困るしかない。自分の親たちも困ったし、その前の世代も困ったから、自分たちだけ困らないで生きていこうとするのは、考え方としてはおかしいのではないかと思ったりもします。
半藤 これはちょっと生臭い話ですけど、尖閣の問題、あれを棚上げしたほうがいいという意見があります。私もそう思うんですけどね。それに対して、棚上げしたら結局は将来に問題を先送りすることになるじゃないかと反論する人がいる。でも、私は最近思っているんです、三十年もたてば、世界には国境がなくなるのじゃないかと。
宮崎 ああ、やっぱり。ぼくもそう思います。
半藤 まだうまくいっていませんが、それでも東アジアが向かうべきはEUのような方向ですよ。
宮崎 ええ。それしかないですね。
半藤 ですから、三十年もたてば、あれがアジアにもできるだろう、と。そうすると国益がどうのというものはなくなるんじゃないか。制御不可能の核でいっぱいのいまの地球で、人類が生き残るにはそれしかないのですよ。
宮崎 さっきお話しした、ジブリにやって来た中国人青年の、あの人懐っこさ、努力と生命力を思うと、なんだかぼくも楽観的になるんです。こんないいやつが中国にはいる。そういう若者がいっぱい来そうだから、そのうち東京も、ロンドンやパリのように人口の半分は日本人じゃない、ってことになるかもしれないです。
半藤 つまりそれが、「グローバル化」ってことなんですよ。
宮崎 はい。ぼくが住んでいる所沢では、小さな雑木林を自分たちで勝手に管理しています。まあ、市の所有ですけどね。その川べりで、日曜日ごとに掃除しておしゃべりをしていましたら、韓国のキリスト教会の人たちが来るようになって、賛美歌を歌って赤ん坊の頭をその水につけて洗礼式なんかを始めるようになったんです。その人たちは礼儀正しくて、きちんとしたよそ行きの服を着てやってくるんです。べつに排斥する理由はないから、黙って見ていたら、いまはそれがあたりまえの風景になっちゃいました。「ああ、こういうことも、たちまちあたりまえになってくるんだなあ」と思いました。
半藤 そういう異文化のようなものも、すぐに馴染んで、じきにあたりまえになりますよ。つまり日本人の島国根性はなくなる。
宮崎 それがどのくらいのスピードで進むのかわかりませんが、少なくともジブリの人間たちは、あの中国人青年にものすごく好意を持ちましたから、もう、尖閣問題とかなんとか言っている場合じゃなくなっちゃった(笑)。
半藤 その中国人青年やジブリの若い人たちが、私らぐらいの年頃になるまでの間に、アジアの国々もずいぶん変わってくると思うんです。いや、もっと前に変わるかな。ですから、問題を先送りするというのは無責任なんかじゃないんだと思いますね。
宮崎 ぼくは、尖閣には避難港をつくって、中国も日本も台湾の漁船もみんなそこに入ることができるのがいいなあと思っています。漁民はいずれの国の漁民でも避難港が欲しいと思っていますからね。だけど、上陸はしないで、そこに住むことはしない。土産物屋をつくっちゃうとか、そういうことはやめておこうと(笑)。それに海底資源なんて、そんなものは実用化するまで何十年かかるかわかりませんから、欲かいて儲け話の尻馬に乗る必要はないと思います。二つに分けちゃうのもややこしいから、もうそっとして、みんなで使おうという。
半藤 人類はそのくらい深い懐を持ったほうがいいです。これまた「腰ぬけの愛国論」かもしれませんが(笑)。それで、おまえもそうとう年を取ったねえ、と近頃はやたらに言われるんですがね(笑)。
宮崎 みなさん、国の先行きが見えないと思っているから、中国が強くなってくると不愉快なんでしょうね。つまりやっかみですよね。いま、ジブリの美術館に中国のお客さんが来ると売店で「ここからここまで」(両手を拡げる)みたいな買い方をしていくんです。
半藤 中国人はそういう買い方をするんですか。
宮崎 ええ。それを見て、ぼくらは「う〜ん……」と思っちゃうんですけど、でもじつはそれ、日本人が高度経済成長のときに、パリだハワイだと団体で出かけて行ってやっていたことですね。ウワァ〜ッと買ってそれを親戚中に配るっていう。ぼくの親父もそうでしたけど(笑)。きっと順番にやっているんです。
半藤 日本人は、韓国に買い物ツアーとかに行けば、もしかしたらまだおんなじようなことをやっているのかもしれませんけどね(笑)。