- 2021.07.27
- インタビュー・対談
小説家として「優しくなるべき」に込めた想いとは?最新作『本心』について、平野啓一郎が読者からの質問に答える(後編)
『本心』(平野 啓一郎)
ジャンル :
#小説
『マチネの終わりに』『ある男』に続く、平野啓一郎さんの最新作『本心』。その刊行を記念し、平野啓一郎さんをナビゲーターとして、古今東西の世界文学の森を読み歩く文学サークル『文学の森』では、読者による平野啓一郎さんへのオンライン質問会を開催しました。前編に引き続き、そのダイジェストをお届けします。(全2回の2回目。前編を読む)
(ライティング/井手桂司)
母と子を描いたリヒターの絵を装丁にした理由
── 次の質問は『本心』の単行本の表紙についてです。母と子を描いた絵画が多くあるなかで、ゲルハルト・リヒターの絵を選ばれた理由を教えてください。
平野啓一郎(以下、平野):本の装丁は本当に難しいんですよね。『ある男』でゴームリーの彫刻を装丁にしたので、今回もアート作品でどうだろうと考えました。それで、デザイナーの人が色々な候補を探してくれたんですが、どれもいまいちピンときませんでした。どんなアーティストの作品だったらよさそうかと打ち合わせするなかで、幾つか名前をあげるなかにリヒターも含まれていました。そうしたら、デザイナーがこの絵を見つけてきてくれたんですよね。
リヒターというと、様々な色を折りこまれた抽象的な「アブストラクト・ペインティング」や、モノクロ写真を模写した「グレイ・ペインティング」のような絵を思い浮かべる人が多いと思います。僕も、こんな絵を彼が描いていたことは知りませんでした。
この母子像は、数々の著名な聖母子像を踏まえて描かれているものだと思いますが、リヒター的な縦線やキャンバスをこすったような絵の具の跡があって、メディア越しに母と子の姿を眺めているような感覚を覚えました。『本心』のテーマのひとつはメディア越しの母親なので、作品の主題とあっていると感じたんですね。
また、母親の子供への眼差しが、愛おしんでいるような、憎んでいるような、ちょっと心がざわつくような不思議な雰囲気があります。子供を抱きしめているようにも見えるし、首に手をかけているようにも見えます。母親の本心がわからないという点も、作品との相性がいいと思いました。
『本心』の表紙はこれしかないような気がして、この絵と出会ってからは装丁はすんなりと決まりましたね。リヒターの抽象画の素晴らしさは知っていましたが、オーセンティックな油絵の技法を用いても、味わいのある作品を描けるなんて、さすがだと感心しました。
言葉に不自由を抱えるティリが生まれた背景
── 『本心』では、主人公・朔也に影響を与える人物として、ミャンマー人の両親をもつ女性・ティリが登場します。十分な教育を受けられず、ミャンマー語にも日本語にも不自由しているティリですが、どんな想いで平野さんは彼女を作品に登場させたのでしょうか?
平野:『マチネの終わりに』でも移民について取り上げましたが、僕は以前から移民の問題に強い関心をもっています。日本では移民や難民の受け入れが少ないですから、日本と比べるとヨーロッパのほうが移民や難民に関する議論は遥かに進んでいます。
移民の抱えるひとつの問題として、言語の問題があります。母語と移民先の国の言語のどちらも使いこなせず、周りの人たちとコミュニケーションがうまくとれない。こういうケースが、移民の子どもたちで増えています。僕は以前からこの問題に関心を持っていて、詳しく調べていました。
実は日本で暮らす外国人の子どもにも、そういう問題が少なからず存在しています。ただ、うまくコミュニケーションをとれないことが、小中学校では発達障害と診断されてしまい、言語的な問題のはずが認知能力の問題にすり替えられてしまうといったケースもあります。
こうした移民の問題と並行して、ミャンマーや日本のミャンマー人コミュニティについても関心をもっていました。そういった幾つかの関心ごとが合流し、想像を膨らませていくなかで、ティリという人物が出来上がっていきました。
やはり、言葉というのは生きていくための大きな武器です。裏返すと、言葉に困難を抱えているだけで、生きていくのが難しくなる。周りのサポートが必要となったり、何かしらの特出した能力でその不自由を補う必要がでてきます。
『本心』の主人公である朔也は多くのものが欠けているけど、言葉に長けていたことが、彼の人生を好転させていきます。そのなかで、彼だけが言葉によって救われるのではなく、問題を抱えている人と出会い、その相手と助け合うことで未来を切り開いていく物語にしたいと思いました。そういう意味で、ティリは言葉への関心から造形した人物でもあります。
小説家として「優しくなるべき」に込めた想い
── 母親の本心を知る重要人物として小説家の藤原が登場します。藤原が朔也に語った「僕は、あなたのお母さんとの関係を通じて、小説家として、自分は優しくなるべきだと、本心から思ったんです」というセリフが心に残っているという人が多く、平野さんがこのセリフに込めた想いを聞かせていただけますか。
平野:この藤原の言葉は色々な含みがありますが、僕は、文学は90年代くらいまでは随分と「上から目線」だったのではないかと感じています。言葉の愉悦とか、文学的に面白いかどうかが追求されましたが、文学の世界に閉じている感がありました。今でもそう感じることもあります。
そんなことを言いつつも、僕自身、初期は高度な読解力を要求する小説をたくさん書いていました。それらの作品には満足していますが、わかる人にだけわかればいいと、どこかで自分の中の理想的な読者に向けて書いていたような気もします。
作家としての活動が長くなっていくと、読者の声を通じて、どういう気持ちで多くの人が今を生きているのかが、わかってくるところがあります。僕は、読者と同時代を生きている作家です。同時代を生きる読者が感じる不安や孤独の受け止め先として、自分の作品が読まれたらという想いで、小説を書いてきました。
僕は『ドーン』で分人の概念をはじめて提示しましたが、分人の概念をわかりやすく解説した読み物にまとめてほしいという要望を読者から沢山もらいました。分人の概念を知ることで救われそうな相手が身の回りにいるのだけど、彼ら彼女らは日常的に小説を読み慣れていなくて、複雑な物語である『ドーン』を読んでもらうのは難しいと。
そこで、小説を手にしない人たちに向けて、分人の概念を新書『私とは何か ――「個人」から「分人」へ』にまとめました。世の中には、本質的には文学を求めているのだけど、様々な理由があって文学にうまくアクセスできない人がいます。僕は、そういう人たちに自分の作品が届かなければ、作品を書く意味がないのではないかと考えるようになりました。
ただ、作品を多くの人に届くようにするとは、漢字の量を減らして文章を読みやすくするとか、読者のレベルに内容を合わせるとか、そういう単純なことではありません。文学的な奥深さを損なわないまま、多くの人に触れてもらえる解決策があると考えて、デザインや認知科学など様々な勉強をしてきました。そうした僕の考えが、「小説家として、自分は優しくなるべきだ」という藤原の言葉へと繋がっています。
誰にでも触れられたくない「本心」はある
── 最後の質問です。「本心」と近い言葉に「真実」がありますが、本心と真実という言葉を対立させた時に、どのような違いがあると平野さんは考えますか?
平野:僕はポストモダンの相対主義的な考え方の洗礼を受けているので、真実や本心という言葉にどうしても懐疑的なところがあります。真実や本心といっても、ものの見え方や捉え方で相対的に変わってしまうものではないかと。
でも、この何年かの間に、相対主義の悪しき弊害を目にすることが増えてきました。歴史修正主義が跋扈し、フェイクニュースが世界を席巻するなかで、事実として動かしてはならないものも存在するのではないかと思うようになりました。
どうせ真実なんてわからないんだから、何を言ってもいいとなってしまうと、メチャクチャな世の中になってしまいます。また、相手の本心はどうせわからないのだから、表面的なコミュニケーションで済ませてしまおうとなると、粗雑な人間関係になってしまいます。
真実や本心が本当にあるかどうかはさておき、真実なり本心なりを探ろうとすること自体には、僕は非常に大きな意味があるような気がしています。真実や本心が存在するかどうかの議論と、それを探ろうとする意志や行動は別に考えるべきではないかと思います。
ただ、社会的な真実を探ることと違い、個人の本心に関しては、本人にとって探られたくないこともありますよね。僕自身、全てをさらけ出して、裸のままでお互い付きあっていこうみたいな関係があまり好きではありません。誰にでも他人に見せたくない面はあると思いますし、そこに触れないでいることも優しさですよね。
本心を知るべきと思うこともあれど、誰にも知られたくない本心もある。その矛盾も、物語のひとつの大きなテーマとなると思いながら、『本心』を書きました。
ひらのけいいちろう / 1975年愛知県出身、北九州市で育つ。大学在学中に発表した『日蝕』で芥川賞を受賞し、注目を集める。以来、小説、エッセイ、対談集など多くの作品を発表。美術や音楽にも造詣が深く、各ジャンルのアーティストとコラボレーションを行っている。近作に、映画化もされた『マチネの終わりに』ほか、『ある男』『「カッコいい」とは何か』など。2020年から芥川龍之介賞の選考委員を務めている。古今東西の世界文学の森を読み歩く文学サークル、平野啓一郎の「文学の森」はhttps://bungakunomori.k-hirano.com/about
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