- 2021.08.09
- 特集
【特別公開】中立条約を平然と破るスターリン、戦後体制を画策する米英。世界史の転換点で溺れゆく日本軍首脳の宿痾と、同胞の悲劇を壮烈に描く――『ソ連が満洲に侵攻した夏』
文:半藤 一利
『ソ連が満洲に侵攻した夏』(半藤 一利)
ジャンル :
#ノンフィクション
日ソ中立条約を結んでおきながら、なぜソ連は侵攻を選んだのか? スターリンの野望、米英の戦後処理に関する思惑、原爆開発競争、そして帝国首脳達の無能無策……。
『ソ連が満洲に侵攻した夏』は、百万邦人が見捨てられた満洲の悲劇を世界史的な視野から捉え、その真相に迫ります。
今回は半藤一利さんによる、単行本刊行時のあとがきを公開します。
今年もまた、日本の“夏”を迎える。いつの年でもそうであるように、平和を願う多くの行事とともに過ぎていくことであろう。わたくしのように“古い”日本人には、八月六日から十五日までの十日間は、回顧さるべき実感が継続している。広島・長崎への原爆投下、ソ連軍の満洲侵攻と、数えきれない死者のあとの、あの暑い晴れた日の敗北感、虚脱感、信念の喪失、価値の激変、それらがなんとも堪らない空腹感とともに蘇ってくる。
昭和四十年(一九六五)に『日本のいちばん長い日』を、四十七年には『原爆の落ちた日』を、そして六十年に『聖断 天皇と鈴木貫太郎』をわたくしは書いた。ずうっと「あの夏」に拘(こだ)わりつづけてきたあとに残されていたのは、ソ連軍の満洲侵攻というテーマである。満洲事変へ、二・二六へ、ノモンハンへと、寄り道しながらも決して忘れたわけではなかった。こんど意を決して取組み、『別册文藝春秋』に連載ということで、本書をまとめることができた。正直にいって、最後の一行に達するまで、哀れなまでに無能無策の日本の指導層、非情な米ソの国際政戦略、その間にあって虫けらのように殺戮される日本人と、つらい事実の連続に、滞りがちの筆を無理に推し進めての毎日となった。書き終えて、誰に頼まれたわけでもない、みずからがみずからに課した義務を、ようやくに果たすことができたと心底からホッとした。いまは少しく落ち着いた気持になっている。
長々しいノンフィクションとなったが、本書で書きたかったのは、結局、正義の戦争はない、という終章の一行につきるようである。敗戦後、自信を喪失した日本人は、太平洋戦争を犯罪的な侵略戦争として断罪した東京裁判の主張を素直に受けいれて、「正義」は連合国側にあると思いこんだ。しかし、国と国との戦いにおいてそれぞれの国のかかげる「正義」の旗印は、つまるところ国益の思想的粉飾にすぎないのである。ルーズベルト、トルーマン、そしてスターリンの政戦略のよってきたるところは、それを明らかにする。何をいまさら、との言もあろう。二十世紀後半の世界史は、米ソを中心に各国の「正義」のベールが、朝鮮戦争、スターリン批判、ハンガリー事件、中ソ論争、ベトナム戦争、文化大革命、プラハの春、湾岸戦争などなどの事件をとおして、一枚一枚はぎ落とされていく歴史であったから。この単純な事実を国民的規模で体験したのが、あの悲惨な戦争の唯一の教訓であるように思われる。
一九九九年六月 半藤一利