本を閉じた時、誰かの叫び声を聞いてしまった、そんな気持ちになった。聞く前の自分には、もう戻ることはできない。そして聞こえていないフリもできない。「生きているだけで、凄いことなんだ」ということを、小さくも大きくもない、心地の良いボリュームで、丁寧に伝えてもらった。そんな気がした。
この小説と出会った時のことを、今でも鮮明に覚えている。どこまでも高く澄んだ冬の空が広がる日、とある映画の準備の打ち合わせをしていた。何時間かその作品について話し込んだ後、話は大幅に楽しく脱線し、映画のプロデューサーさんと監督さんと、好きな小説の話題で盛り上がっていた。私が、周りに引かれてしまうくらいに小説への愛を語り尽くしていたそんな時、「佐久間さんと同じ年くらいの女の子が主人公のお話だから是非読んでみて欲しい」とプロデューサーさんに頂いたのがこの小説だった。
両手で受け取ったその本からは、想像していた以上の重みを感じ、これから出会う物語にドキドキした。紹介された友達と初めて会う、そんな胸躍る気持ちと似ていた気がする。単行本だったその本は、私のお気に入りの鞄から少しはみ出ていた。
その日、帰宅した瞬間に鞄から本を取り出し、緊張しながらカバーを外した。いつだって綺麗に保存しておきたいので、私は必ずカバーを外して本を読む。そこからはあっという間だった。ノンストップで読み終え、気づいたら朝だった。
カバーをつけなおした私は、すぐに本棚には仕舞わず目の前に置いた。そして携帯を開き寝不足の目を細めながら、畑野智美さんの作品をネットで全て購入した。
小説の余韻に浸りながら、それが自分の高校時代と重なっていく。
卒業後にアメリカへの留学を夢見ていたので、アルバイトを3つ以上掛け持ちしていた。飲食店の接客、スーパーのレジ、ホームセンター。日雇いの引越しや派遣のお仕事も積極的にやっていた。
ある派遣先でのアルバイト経験を思い出すと、今でも鳥肌が立つ。工場の中で、自分の名前でなく番号で呼ばれる仕組みや、休憩時間以外にお手洗いに行くことが許されない環境。そして私語厳禁。お昼休みにコンビニで買ったお弁当をひとり壁を見ながら食べた時間。まるで“機械扱い”される状況に、その日初めて降りた駅で、帰り道に不快感を覚え吐いたこともあった。
それでも全ては留学の為だと、決して貧しくはない家庭で育ててもらっていたのに、誰にも頼るまいと取り憑かれたように働いていた。
そして、18歳。雑誌の専属モデルオーディションのお話をいただき、モデルの世界に突き進むことに決めた。夢だったアメリカへの留学を1ヶ月だけ許可してもらい、帰国してからは今までお世話になっていたアルバイトを思い切って全て辞め、“芸能のお仕事だけで食べていく”と啖呵を切って実家を出た。自分を鼓舞し腹を括るためだったのだけれど、それでも、貯金がどんどん減って底をつき、家賃が払えなくなり、支払いを待ってもらうこともあった。そんな綱渡りのような時期が半年以上も続いた。
地元の友達の結婚式に着ていくお洋服が買えなくて、ネットで安いものを必死で探していたら朝になっていたことや、電車代もままならずモデルの友達との約束を何度も断ったこと。雑誌の“私服企画”では、出来上がった誌面をみて、華々しい他のモデルさんとの対比に泣きそうになったこと。
『神さまを待っている』を読むと、あの時期の自分と主人公の愛が重なる。今では、私のハングリー精神を鍛え糧になってくれた経験だとも思っている。だけどその全ては、肉体的な痛みとして昨日のことのように覚えていた。
二〇二一年。パンデミック最中の歴史的な瞬間を生きている今、この小説に出てくるサチさん、ナギのような人たちが、今どんな思いをしているのだろう、と考えると胸がいっぱいになる。
「貧困というのは、お金がないことではない。頼れる人がいないことだ」というこの小説の中の核ともなる印象的な言葉がある。“頼れる人がいない”というのは、“周りにそういった存在がいない”ということだけでもなく、手を差し伸べてくれる人がいるのに、“頼ることが出来ない自分”ということも含まれるかもしれない。
私の場合、無くなっていく貯金に歯を食いしばって耐えたものの最後は、泣く泣く両親に頭を下げた。「頼る」ことを選んだので、愛のようなホームレスの道は免れたが、今思うと本当に本当に、紙一重だったと思う。愛と私の差は、私には私を応援してくれる家庭があった、という点。そして愛の方が、真面目だった、ということだけなのかもしれない。
畑野智美さんが描く物語は、決して高熱ではないけれど、微熱が続く毎日に似ている気がする。
『消えない月』『罪のあとさき』など、社会性を問う物語から『タイムマシンでは、行けない明日』などのようなファンタジーを越えたラブストーリーなど、優しく、時には鋭い視点で、私の人生に大切なことを思い出させてくれる。私はそんな畑野智美さんの作品の大ファンである。そのきっかけになった『神さまを待っている』の解説文を書くことができるなんて、いきなり宝くじが当たったような出来事だった。
この本に出会わせてくれた映画のプロデューサーさんにまだ報告出来ていないので、どんな反応をされるかも楽しみだ。そしてもし映像化される際は、ぜひ関わらせていただきたい。私自身は“あちら側”への橋を渡らなかったからこそ、この物語の映像化を通して“女性の貧困”に対する理解を深め、経験させて頂きたいと思う。お金がない日々を過ごしていた過去の自分から、「役者という仕事を選んだのだから、挑戦しなさい」と背中を押す声が聞こえてくる気がする。
私は、誰かの声なき叫び声を、絶対に聞き逃したくない。瞳の奥の一瞬の曇りを、決して見過ごしたくない。手を差し伸べる勇気と、愛を、いつだって雨宮のように暑苦しく、しつこいくらい持つ人でいたい。
本の話noteでは一章・二章を全文公開中です。ぜひご覧ください!
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