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正しさと逸脱

正しさと逸脱

文:桐野 夏生 (作家)

『正しい女たち』(千早 茜)

出典 : #文春文庫
ジャンル : #小説

『正しい女たち』(千早 茜)

「最初、わたしたちは四人だった。

 わたしと環と麻美と恵奈の四人。わたしたちは太っても痩せてもなく、目立って愚図でも飛びぬけて優秀でもない普通の女の子で、大学までエスカレーター式の私立の中等部で出会った」

 本書に収められた最初の短編「温室の友情」の出だしである。何という秀逸な始まりだろうか。女子中高校生ならば、「痩せて」いるだけで、友人からの羨望や嫉妬の声を聞くことがあるだろうから、大きな自己肯定感を得られるかもしれない。が、もし「太って」いたならば、その子の自意識は、痩せたい願望やコンプレックスによって、より複雑になるはずである。「愚図」であっても、「飛びぬけて優秀」な生徒だとしても、孤独のイメージがつきまとい、なかなかグループには入れないだろう。

 主人公たちは、そのどれでもないが故に、「普通」であり、皆が揃って「普通」であることによって仲がよい。それは、同質の「塊」の中にいることの幸福であろう。同質であればあるほど、「塊」の中は居心地がよくなるのだから。

 成長するに従って、この「塊」は解けてばらばらになる。その「塊」に留まりたいと願う者と、逸脱してゆく者とが感じる、それぞれの違和。その微妙な心の動きを、作者はうまく描いている。

 ちなみに、本書は巧みに仕組まれた連作短編集である。

 さらりと読むと、一見ばらばらのように見える。「温室の友情」の明らかな続編は、「偽物のセックス」と「桃のプライド」だけだが、実は他のどの短編も、「温室の友情」の四人の女から派生した物語のようだ。

 それは、勾配のある地面を水が枝分かれして流れてゆくがごとく、ある時はほんのちょっぴり、またある時は太い流れとなって、四人の影があちらこちらに顔を出す。

 だから、どの短編も、「塊」としての鬱陶しさと重苦しさであったり、そこから逸脱することの歓びや、恐怖を描いている。

「塊」からの逸脱が何によってもたらされるかと言えば、他者との出会いであろう。多くの場合は異性であり、仕事であり、家族であったりもする。つまり、自分ではどうにもできないものの存在である。そのようなことを念頭において、それぞれの作品について考えてみたい。

 

「温室の友情」

『正しい女たち』と名付けられた本作の、源流となる作品だ。遼子、恵奈、麻美、環ら、四人の女子高生は、似た者同士で仲良しグループを作り、放課後は廃屋の温室でマンガを読んだり、お喋りをして楽しく過ごしていた。互いに何でも話していたから、「それぞれの彼氏のセックスの癖からペニスの形状まで知っていた」ほどだった。

 だが、大学に入った頃から、グループはばらけ始める。麻美は同棲し、背が伸びて美しくなった環は、本格的にタレント活動に身を入れる。他方、遼子と恵奈は堅実だった。一年の語学留学を経験し、一流企業の正社員の道へと努力する。

 四人が三十歳を過ぎた時、「普通」だった四人のうち、彼女たちの考える「普通」の道を歩むのは、遼子と恵奈だけとなった。その恵奈が年上の男と不倫をしている、と知った遼子は、恵奈の逸脱を許さなかった。お節介とも言える遼子の行動は、「普通」の堅実さが持つ傲慢さでもある。

では、麻美と環はどうしたか。二人のその後を描いた作品が、「偽物のセックス」と「桃のプライド」である。

「偽物のセックス」

 四人の中でただ一人、専業主婦となった麻美の物語。が、語り部は、麻美の夫である。

 ある日、会社の飲み会でセックスの秘密を互いに暴露しようという流れになり、麻美の夫は、セックスレス状態になっている自分たち夫婦のことを苦く思う。

 その夜、同じマンションに住む夫婦の交わす甘い抱擁を目撃した夫は、以来、その家の女にとらわれるようになる。二人目が欲しい妻の麻美に迫られると腰が退けるのに、その女と関係を結びたいのはどうしてか。

 ある日、女に迫ると、婚姻による正しいセックスでないとできない、と断られる。何が正しくて、正しくないのか。夫婦の行為などつまらない、逸脱こそに真の興奮があるのに、と麻美の夫は混乱するのだった。

正しい女たち
千早茜

定価:693円(税込)発売日:2021年05月07日

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