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若き日の城山三郎処女作は今も激動の時代を生きる経営者たちを勇気づける

若き日の城山三郎処女作は今も激動の時代を生きる経営者たちを勇気づける

文:楠木 建 (一橋ビジネススクール教授)

『創意に生きる 中京財界史』(城山 三郎)

出典 : #文春文庫
ジャンル : #政治・経済・ビジネス

『創意に生きる 中京財界史』(城山 三郎)

 傷心の佐吉はアメリカ大陸横断の旅に出た。先進国のアメリカの織機は彼のものと比べて回転数は低く、振動が激しく、故障も多かった。これで自信を取り戻した佐吉は在米中にアメリカでの特許を申請している。

 2度の挫折を経て再起した佐吉の豊田式自動織機は世界を席巻する。昭和に入ると、世界最高の技術を誇っていたイギリスのプラット社が特許権譲渡を申し込むまでになる。特許権使用料は100万円。名実ともに世界最高の評価を勝ち得た。

 佐吉の死後、後を継いだ喜一郎はこの100万円を元手に国産自動車の試作に乗り出す。当時の日本には自動車国産化の機運があり、名古屋でも名古屋商工会議所を中心に大隈鉄工、愛知時計、日本車輛、岡本自転車がドイツ製自動車を手本に分担試作に乗り出した。これに対して、喜一郎は独力で自動車試作を進め、ついに昭和10年に純国産車第1号を完成させた。今日のトヨタ自動車の原点である。

 豊田佐吉は現在も語り継がれる企業家だが、彼だけではない。その後歴史の中に埋もれた同時代の創意の人を本書は数多く取り上げている。例えば鈴木政吉。三味線職人の政吉は自然と音楽が好きになり、愛知師範学校の音楽教師に唱歌を習っていた。そこで三味線に似ている洋楽器、ヴァイオリンに遭遇する。見様見真似で作った政吉のヴァイオリンは名古屋のハイカラの間で評判になる。自分のヴァイオリンの出来はどの程度のものか。政吉は上野の東京音楽学校の外国人教師を訪ねて試奏してもらうと、「タイヘン、ケッコウデアリマス」。

 自信を得た政吉は、林という資本家から資金を調達し、量産に踏み切る。しかし突然林から、「林ヴァイオリン」に社名を変更しろ、いやなら貸金を返済しろ、と迫られる。ものづくり一筋の政吉は豊田佐吉と同じような苦境に陥った。政吉は社名変更を突っぱね、工場を閉鎖、職工全部を解雇し資金を返済する。ところが、解雇した職工が政吉のもとに集結する。「賃金はいらないから生産を始めよう」――ほどなく量産が軌道に乗り、鈴木ヴァイオリンはロンドンの日英博覧会で絶賛を浴びる。鈴木ヴァイオリンは発展を遂げ、第1次世界大戦が終わるころには欧米で知られるブランドになった。

 佐吉がアメリカに、政吉がイギリスに渡ったのと同時期に、岡本松造はイギリスのコベントリーにいた。明治の先進的な若者の目を惹いたのは自転車だった。自転車の部品製造で起業した松造はやがて自転車本体の製造に乗り出す。しかし、十分な工作機械がなく、形だけはできても耐久性がない。10年間苦闘した挙句、世界第一の自転車生産拠点コベントリーを訪れたのだ。英語はまるで分らない。車体製作の技術を知りたい一念で、勝手に工場の中に入ってひたすら車体製作の現場を見つめた。コベントリー滞在50日で松造はすっかり技術とノウハウを見極め、自転車国産に向けて確固たる自信を得た。

 ものづくりだけではない。明治の名古屋では、「美濃万」という洋服商がモダンボーイたちのたまり場になっていた。常連の一人が青木鎌太郎。洋服を着こなして自転車を乗り回す開明的な若者だった。神戸でドイツ人が経営している商館に入り、貿易実務を習得した鎌太郎は、28歳のとき愛知時計の創業者に見込まれて支配人になる。貿易の才覚をいかんなく発揮し、愛知時計の中興の祖となった。

 本格的な評伝と比べれば一人一人についての記述はあっさりしている。もともと中部経済新聞の連載記事だったこともあって、構成はまとまりを欠く。しかし、本書の醍醐味は多種多様な創意の人々が織りなす群像劇にある。自己の情熱と才能だけを恃みに頭角を現し、また失意のうちに挫折する企業家たちの姿を通じて、明治大正期の日本のダイナミズムを鮮烈に描くことに成功している。

 VUCA――Volatility(変動性)・Uncertainty(不確実性)・Complexity(複雑性)・Ambiguity(曖昧性)――の時代だという。それはそうなのだが、今に始まった話ではない。いつの時代も人々は「今こそ激動期!」と言ってきた。メディアで「今こそ平常期!」という言説があったためしはない。経済と商売に限って言えば、いつでもどこでも「激動期」というのが本当のところだ。

 本書を読んでつくづく思う。明治維新から昭和初期の企業家が経験した変化や不確実性、複雑性、曖昧性は今日の比ではなかった。明治維新はもちろん、世界大戦や日露戦争、それに伴って押し寄せる好不況の波の中でのVUCAは現在のそれとは桁が違う。企業家は極端なVUCAにどのように対応し、どう乗り越えていったのか――若き日の城山三郎が今に伝える創意の列伝は今日の経営者に勇気と洞察を与えてくれる。

文春文庫
創意に生きる
中京財界史
城山三郎

定価:902円(税込)発売日:2021年10月06日

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