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百年に一度の技術

百年に一度の技術

文:須田 桃子 (科学ジャーナリスト)

『クリスパー CRISPR 究極の遺伝子編集技術の発見』(ジェニファー・ダウドナ)

出典 : #文春文庫
ジャンル : #ノンフィクション

『クリスパー CRISPR 究極の遺伝子編集技術の発見』(ジェニファー・ダウドナ)

 一九九七年の米SF映画『ガタカ』は、ヒトの遺伝子操作が当たり前になった近未来を舞台に、人間の自由意志の強さを描く美しい映画だ。序盤にこんなシーンがある。

 自然妊娠によって生まれた主人公は、生後すぐに、三〇代前半で心臓病によって死ぬ運命にあると宣告される。両親は次の子を「普通のやり方」で得ようと決める。体外受精ののち、確実に健康に育つ受精卵を選別して子宮に戻す方法だ。主な遺伝病の可能性がなく、目や髪の色もあらかじめ指定した通りの幾つかの受精卵が候補になる。

 遺伝学者は、両親に性別を選ばせると、さりげなく付け加える。「勝手ながら、早期脱毛、近視、アルコール中毒、中毒に対する脆弱性、暴力や肥満の傾向など、潜在的に有害な条件も取り除きました」。ひとたび遺伝子操作が普及すれば、「個性」にあたるような特徴や体質すらも、簡単に改変の対象になってしまうことを示す場面だ。

 遺伝子操作で生まれながらに優れた知力・体力が約束された「適正者」とそうでない者が区別され、「不適正者」には職業を選ぶ権利すらない――。『ガタカ』の世界は、公開当時はまさしくフィクションだったが、二〇年以上が経った今、そうとも言い切れなくなっている。

 本書の第8章でも書かれているように、二〇一五年四月、中国の研究チームが世界に先駆け、最新の遺伝子編集技術(「ゲノム編集」とも呼ばれる)によるヒト胚(受精卵)の改変を試みたという論文を発表した。用いられたのは「CRISPR-Cas9(以下CRISPR)」。生物の全遺伝情報(ゲノム)は、細胞一つひとつの核に収められた二重らせん構造のDNAに保存されている。CRISPRは、DNAにA、T、C、Gの四種類の塩基で書かれたゲノムを、狙い通りに書き換えることができる魔法のようなツールだ。

 やや皮肉なことだが、物議を醸した中国のチームの報告は、CRISPRの名が全世界に知れわたり、関心を集める機会を作った。取材した私は、この技術がすでに、生命科学の広範な分野に普及しているのを目の当たりにした。遺伝子編集技術はそれまでにもあったが、使い勝手が悪く、高額だった。「第三世代」の編集技術として登場したCRISPRは、はるかに簡単かつ低コストで、瞬く間に大半の動植物の細胞に使えるようになった。

 動物の受精卵を直接、編集できるのも、CRISPRの大きな利点だ。たとえば新しい遺伝子改変マウスを作るには、まず、ガイドRNAとCas9のセットを受精卵と一緒に電極付きのシャーレに入れ、装置のボタンを押して電気パルスをかければいい。すると、細胞膜に空いた微小な穴からゲノム編集のセットが受精卵に入り、目的の遺伝子が改変される。改変済みの受精卵を偽妊娠状態にしたメスのマウスの子宮に移植すれば、二〇日後には改変マウスが誕生する。ES細胞(胚性幹細胞)を用いた従来の方法では数年かかっていたことが、一カ月足らずの短期間で実現できるのだ。

 ある研究者の言葉を借りれば、CRISPRは、遺伝子改変を伴う研究の「裾野を広げて」もいた。つまり、旧来の遺伝子組み換え技術に縁のなかった研究者までもが、CRISPRの登場を機に、こぞって生物のゲノムを「編集」し始めていたのだ。

 本書は、そのCRISPRをエマニュエル・シャルパンティエ博士らとともに開発し、シャルパンティエとともに二〇二〇年のノーベル化学賞に輝いた科学者、ジェニファー・ダウドナ博士による二部構成の手記である。第一部では、一見、無関係に思える細菌の基礎研究が、画期的な遺伝子編集方法に結びつくまでの物語が生き生きと描かれる。

 

 そもそもCRISPRは、細菌のDNA配列にみられる奇妙な繰り返し配列を指す。数十文字の全く同じ配列(リピート)が繰り返し現れ、その間に同程度の長さのそれぞれ異なる配列(スペーサー)が挟まれた構造だ。しかもリピート配列は、前から読んでも後ろから読んでも同じ、回文のように見えるというから面白い。本書には原注にその論文が言及されているだけ(第2章の(13)文献)だが、一九八七年に大腸菌のDNA中で初めてCRISPR配列を発見したのは、日本の石野良純博士(現・九州大学教授)らだった。

 一方、ダウドナは元々、細胞内で働くRNAについて研究していた。RNAは、細胞の中でタンパク質が作られるとき、必要な情報をDNAからコピーして、核の外側に伝える分子だ。CRISPR配列は、細菌の体の中でどんな役割を担っているのか。シャルパンティエら二人の女性科学者との幸運な出会いが、ダウドナをこの謎解きに引き込む。

 細菌が外部から侵入してくるウイルスを撃退する仕組みに関わっているのではないか――という最新の仮説を証明するため、ダウドナは、DNA上で必ずCRISPR配列の近くにあるcasという遺伝子のグループに着目し、研究をスタートさせた。やがて全体像が姿を見せ始める。細菌は、かつて感染したウイルスのDNAを取り込んでスペーサー配列に記憶する。再び侵入されたときは、スペーサー配列をコピーしたRNAがガイド役となってCasタンパク質を導き、ウイルスのDNAを破壊するという仕組みだ。

 二〇一一年、当時スウェーデンの大学に所属していたシャルパンティエと、米国西海岸に研究室を構えるダウドナとの、スカイプや電子メールを駆使した共同研究が始まる。わずか一年ほどで、パズルの最後のピース、さまざまなCasタンパク質の中で最も重要とみられていたCas9の役割が突き止められる。Cas9は、ガイドRNAの指示通りにウイルスのDNAを正確に素早く切断する、細菌にとって文字通りの「最終兵器」だった。二〇一二年六月に発表した歴史に残る論文で、ダウドナたちは、この仕組みが革新的な遺伝子編集技術としても利用できることを示した。ガイド役のRNAを思い通りに設計し、ハサミ役のCas9タンパク質にDNAの目的の場所を切らせるのだ。CRISPRの誕生である。

 ダウドナが、自然への好奇心を原動力に、研究室のメンバーや共同研究者とともに緻密な推理と実験を積み重ね、一歩ずつ真理に近づいていく様子はスリリングで感動的だ。単細胞である細菌が、ウイルスから身を守る戦略の巧みさ、複雑さにも驚かされる。

 現代科学が具体的にどのように営まれているかが垣間見えるのも、本書の面白さの一つだろう。たとえば、ダウドナは魅力的な共同研究の提案を受けるたびに、身を乗り出しつつも、頭の中では冷静に研究室にとっての利益と負担をてんびんにかけ、プロジェクトを任せられる人材がいるかを思案する。ダウドナ自身も述べているように、科学の原動力は冒険心と好奇心といえども、研究室を維持しながら着実に成果を出すには、理想と現実の間でうまくバランスをとる経営センスが欠かせないことがよく分かる。

クリスパー CRISPR 究極の遺伝子編集技術の発見
ジェニファー・ダウドナ サミュエル・スターンバーグ 櫻井祐子

定価:1,056円(税込)発売日:2021年10月06日

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