- 2021.06.10
- 書評
コロナ禍による“格差の拡大”を先取りして論じる、震撼の書
文:佐藤 優 (作家・元外務省主任分析官)
『世界を変えた14の密約』(ジャック・ペレッティ)
出典 : #文春文庫
ジャンル :
#政治・経済・ビジネス
コロナ禍が世界の構造を大きく変化させる。私が見るところ、2つの面で大きな変化が生じる。第1は、グローバリゼーションに歯止めがかかり、国家機能が強化されることだ。第2は、格差が拡大することだ。さらにこの格差は、国家間、(国内の)地域間、階級間、ジェンダー間という四重の構造を持つことになる。
ジャック・ペレッティの名著『世界を変えた14の密約』は、新型コロナウイルスが発生する前の2017年(邦訳は18年)に刊行されたが、コロナ禍による格差の拡大を先取りして論じている。本書を読んで、私はマルクスが1867年に『資本論 第一巻』で指摘したこんな言葉を思い出した。〈資本主義的生産様式の「永遠の自然法則」を解き放ち、労働者と労働諸条件との分離過程を完成し、一方の極では社会の生産手段と生活手段を資本に転化し、反対の極では、民衆を賃金労働者に、自由な「労働貧民」に、この近代史の作品に、転化することは、かくも労多きことだった。もし貨幣が、オジエの言うように、「頰に自然の血痕をつけてこの世に生まれる」ものならば、資本は頭から爪先まで、毛穴という毛穴から、血と脂とを滴らしつつ生まれるのである〉(カール・マルクス[向坂逸郎訳]『資本論 第一巻』岩波書店、1967年、948頁)。
『世界を変えた14の密約』には、電子決済、穀物相場、租税回避、薬品開発、遺伝子操作、マスメディア、ロボットなどさまざまな分野で巨万の富を手にした人々が登場する。ペレッティ氏は、それぞれの登場人物の特徴を興味深く描いている。しかし、これらの人々は、自己増殖自体を目的とする資本の論理を体現している。興味深いのは、これらの人々には、自分が資本の衝動によって突き動かされているという現実が見えていないことだ。
自分自身の人間性を喪失している人たちだから、他者を人間として尊重することができない。医療は人間を救うためにあるはずだ。しかし、アメリカの精神医療はそれと懸け離れた状態にある。その一例が、注意欠陥多動性障害(ADHD)と診断される子どもの数の劇的な増加だ。〈アメリカでは4歳から17歳までの子供の11パーセントにあたる600万人以上がADHDと診断されている。この数字は10年で倍になり、毎年増加している。(中略)/抗うつ剤が、貧困という根本的な経済構造を支えているように、リタリンやアデラールは「手のかかる」子供を鎮静化し、現代の核家族の生き方を支えている。/5歳児を薬漬けにしてiPad かXboxの前に座らせておいて、長時間いくつもの仕事をかけもちし、低所得ながら家庭を支えていかなければならない親たちは、薬がもたらしてくれる型どおりの生活を受け入れる。それは親たちのためでもあり、子供のためでもある〉(204~205頁)。ペレッティ氏が優れているのは、子どもに手をかけられない親の貧困に気づいたことだ。
他方、富裕層はバイオテクノロジーを最大限に活用し、完璧な子どもを作ることができる。オックスフォード大学のジュリアン・サブレスク教授の見解が興味深い。〈人類がすでに自然を上回る力を持っていることを否定して、自然の残酷さや逸脱をそのままにしておくことこそ、逆に間違いだとサブレスクは言う。ナチズムのせいで優生学が悪者になったとサブレスクは語っていた。遺伝子操作によって人類は望まぬものをすべて取り除き、完璧な種になれる。ハンチントン病のような深刻な遺伝的疾患を取り除くこともできるし、容姿の気に入らない部分を少しいじることもできる。/金髪で青い目の子供? 別にいいのでは? 完璧な子供を作るかどうかは、親が決めればいい。それはナチズムではなく、消費者の選択だ。こうした倫理的な決断は、ある意味で、いまわたしたちが下している選択と変わらない。ダウン症の恐れのある胎児を中絶するかどうかを簡易テストに基づいて決めるのは、あなたなのだ〉(222頁)。ナチズムの優生学は、アーリア人種が優秀であるという荒唐無稽な神話に基づいていた。21世紀の優生学は、カネがある者には何でも許されるという「消費者の選択」という神話に基づいている。
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