- 2021.11.18
- コラム・エッセイ
本は未知の世界への扉――“モンテレッジォ”の奇跡は続く――文庫化によせて
内田 洋子
『モンテレッジォ 小さな村の旅する本屋の物語』(内田 洋子) Montereggio Vicissitudini di librai viaggiatori da un paesino(Yoko Uchida)
二〇二〇年は、私にとって特別なものになるはずだった。前年の暮れから春を心待ちにして、散歩に出ては木の枝先を見たり空模様を気にしたりして心躍るような気持ちで毎日を送っていた。
「日本の桜の花の下で会いましょう!」
前年、モンテレッジォについての本をいっしょに作った小学生達と約束していたからだった(『もうひとつのモンテレッジォの物語』方丈社、二〇一九年)。ところが三月初旬、あっという間にイタリアに新型コロナウイルスの感染が拡大し、全土に外出禁止が発令されてしまった。日本で待っていた私は桜が咲くのを見ながら、来日の夢が叶わずがっかりする山村の小学生達を思い、胸が詰まった。そして桜が散ったあとも、疫病の猛威はいっこうに治まらなかった。
モンテレッジォという村があることを知ったのは、二〇一七年の二月だった。トスカーナ州の村から遠く離れた北イタリアのヴェネツィアで、偶然に知った。不思議な何かに引かれて、としか思えない出会いだった。
この数年、冬の底になると、ヴェネツィアへ移って暮らしてきた。冷たい雨が降りしきり、足元には冠水が上ってくる。観光客の足は遠のき、多くの店舗やホテルは休業する。寂しいようで、でもヴェネツィアがやっと住人のもとへと戻ってくる時期であり、町に残った人達の間には運命共同体のような仲間意識が生まれる。
何年イタリアに住んでいようと、私は異国民のままである。見えない境界線を引かれて暮らす。しかたのないことではあるけれども、時々せつなくなる。そういうとき、ヴェネツィアでは居場所が見つかる。静かに待っていてくれるのは、書店だ。
ヴェネツィアには、「世界で最も美しい図書館」とされる国立図書館が、島の中心サン・マルコ広場にある。入ると、中世の賢人ペトラルカの巨大な像に迎えられる。『神曲』の著者ダンテのライバルで、『デカメロン』を書いたボッカッチョの師、イタリアの知性だ。館内には、古代からの写本に加え、ペトラルカが寄贈した蔵書を合わせた百万冊余りが収められている。海運業で栄えたヴェネツィアは、常に新しい知識の玄関だった。情報を集めて出版業が栄え、長らくヨーロッパの知的サロンとしての役割も担ってきた。現在では土産物店が軒を並べる通りも、かつては編集や印刷の工房、刷り物の売店がひしめく本の都だった。
そのサン・マルコ広場からほど近いところに、ベルトーニ書店はある。冬の雨のなか、店の灯りが見えるとほっとする。店主は必ず目を合わせて、〈いらっしゃい〉と迎えてくれる。希少本もあれば、真新しい美術全集もある。この書店に、出版社は滞留在庫の整理を頼み、ヴェネツィアの名家は屋敷終いの際に蔵書を託す。国内外の研究者や学生はここで知識の源を得て、「後継者へ」と、研究の成果と書物を店へ遺していく。店を介して本は息を吹き返し、必要とされる先へと渡っていく。そういう本に囲まれると、独りでいる寂しさを忘れる。新旧の友人といっしょにどこでも行ける勇気が湧いてくる。
二〇一七年の冬の終わりに、「本の原点だから」とベルトーニ書店の店主に勧められモンテレッジォを訪れた。イタリアでもほとんど知る人のいないその小さな村には、雄大な本の歴史があった。あの冷たい雨の中、温かに迎えてくれた無数の本がここに自分を連れてきたのだ、と強く感じた。村と出会ったことを機に、私のイタリアでの暮らしは大きく変わった。寝ても覚めても、本を読むということを届けた人達やその家族のことを考えていた。時間ができるとモンテレッジォへ行き、一軒ずつ訪ねて村人の話を記し、石や木の写真を撮り、古い文書を複写し、得た資料の時代に遡っては同時代の絵画や音楽を見聞きしてみた。訪ねるたびに山を変えて宿を取り、宿主に頼んでは家で食べている料理を出してもらったりした。家族と裏山で果実をもいで食べ、山の村の小学校を訪ねておしゃべりをしながらいっしょに絵を描いた。夕食後、地酒を持参してくる住人達と、宿のカウンターで世間話をした。翌朝、焼きたてのパンが届いたこともあった。
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