- 2021.11.18
- コラム・エッセイ
本は未知の世界への扉――“モンテレッジォ”の奇跡は続く――文庫化によせて
内田 洋子
『モンテレッジォ 小さな村の旅する本屋の物語』(内田 洋子) Montereggio Vicissitudini di librai viaggiatori da un paesino(Yoko Uchida)
どうにかして土地に同化したかったが、いかんせん山の人は口が重い。そういうときふとベルトーニ書店の名前を出すと、誰もが口元を緩めて、
「ではうちの話もしましょうかね」
と、古い写真を見せてくれるのだった。本屋にまつわる逸話がぽつりぽつりと、でもとめどなく出てきて、立ち往生することもしばしばだった取材の方向がはっきりした。ベルトーニ書店に水先案内を受けるようだった。
「モンテレッジォの本屋の歴史を一冊にまとめてくださり、ありがとうございます」
本を刊行して三年あまり経った今も、連絡を取るたびに店主は繰り返す。疫病前には、観光ガイドに連れられて連日たくさんの日本人客の訪問を受けたと聞いている。訪問客達からモンテレッジォの本を手に記念撮影を請われ、誇らしくてならない、と店主は喜んだ。
〈この通り!〉
メッセージとともに送られてきた画像には、棚に挿してある私のモンテレッジォの本が写っていた。冠水になっても決して浸かることのない、高い段に置いてある。レジの後ろの、店主特選の本が並ぶ一等席だ。
〈ベルトーニ書店は灯台のよう〉
その画像をジャコモに転送しながら、メッセージを打った。
〈モンテレッジォのことを書いた本が日本で刊行されて、それを村出身の本屋の棚に置ける日が来るなんて!〉
すぐにジャコモからも、数枚の画像を付けて返事が送られてきた。ジェノヴァの町を背景に数人が、書店の前で、店内の棚を背に、青空市場に立つ本の露店で、私のモンテレッジォの本を高く掲げて笑っている。ジェノヴァには、本の露天商連盟がある。結束が固い。多くがモンテレッジォの行商人の子孫だ。
〈モンテレッジォの行商人の歴史は、読者の宝物です〉 (アリアンナ)
〈また本は境界を超えましたね〉 (セヴェリーノ)
〈ヨーコの本が生まれた経緯が、すでに物語!〉 (ダニエーレ)
〈読む幸せをありがとう〉 (パオラ)
画像に続いて、露天商人達からメッセージが届いた。ちょうど皆で集まって、何か相談ごとをしていたらしい。
「この本がきっかけとなり、村は息を吹き返しました。子供達が熱心に土地の歴史を調べ、消えかかっていた過去が未来へと繋がりました。村の行商人達はそうなることを信じて、ずっと本を届けてきました。感無量です」
ジャコモはモンテレッジォのバールに村人を集めて、ビデオ電話をかけてきた。
そうは言うものの現在モンテレッジォには、小学生から高校生まで合わせて六人の若者がいるだけだ。うち二人は、進学のために村をあとにする。いったん村を出ると就職や家庭を持ったりして、それまでの暮らしに戻るのは難しい。
「村に残るのは老いた人達ばかりとなって、次第にモンテレッジォが世の中から忘れられ、やがて消えてしまうのではないかと気が気ではありません」
高校生のアレッシアが言う。それで村の皆で相談してジェノヴァの本の露天商を招待し、村の新生計画を相談したのだった。
疫病は、人々の心身と暮らしを侵した。でも、ロックダウンですべてが閉されたとき、〈本は大切な友達〉とイタリア政府は通達を出し、薬局や食料品店と同様、書店を閉めなかった。
「一八〇〇年代に先祖が本を売りに半島を回り始めたとき、売る側にも買う側にも文字を読めない人が大勢いました。それでも表紙や挿画を見て、皆、本を買いたがった。夢をかき立てられたからでした。ふさぎがちになる今、文字を追いづらい人もいるかもしれない。それなら見るだけでも楽しめるコミックはどうだろうか、という話になったのです」
第二次世界大戦後のどん底で、テア・B・ボネッリという女性がイタリアで初めてのコミックを出版した。苦しみから立ち上がるためにコミックを選んだこの出版人の英断を讃えて、疫病で打ちひしがれた二〇二〇年、モンテレッジォの教会前を〈ボネッリ広場〉と命名することに決めた。そして同時に、コミックをテーマに新しい村祭りを立ち上げることになった。露天商連盟と村は力を合わせて、全国から五十人の書店員を選び一年間に刊行されたコミックを読んでもらい、リモートで協議して第一回の受賞作品を選ぶに至ったのである。非常事態の規制が解けた二〇二一年は、村を挙げての開催となった。ビデオ通話の向こうで、モンテレッジォが笑っていた。
「これも本が連れてきた、新しい冒険です。本は未知の世界への扉ですからね」
二〇二一年十一月
内田洋子
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