源頼朝亡き後、弟・北条義時とともに次々と政敵を滅ぼしていく北条政子。鬼となって幕府を守り抜き、“尼将軍”と呼ばれた政子を描いた圧巻の歴史巨編『夜叉の都』の読みどころを聞く――。
――本作の舞台は鎌倉時代初期。血で血を洗う激しい権力闘争があり、すさまじい時代ですね。
伊東 鎌倉時代初期を扱った小説は、永井路子さんや高橋直樹さんが取り組んでいらしたくらいで、作品数が比較的少ないです。しかし先の読めない苛酷な時代で、小説に取り上げるには格好の素材だと私は思っていました。それに気づいた一人が三谷幸喜さんで、来年の大河ドラマ『鎌倉殿の13人』が実現したのでしょうね。
――どういうきっかけで執筆なさったのでしょう。
伊東 「大河ドラマに便乗」などと言っているのは冗談で(笑)、以前『修羅の都』という作品を書いたのですが、もともと続編の構想がありました。それを実現したんです。本作では「何かを守っていくことの厳しさ」や「何かを継続していくことの難しさ」をテーマに描きたかった。源頼朝の死によって、鎌倉幕府が危機に瀕していると悟った北条政子は、自らが矢面に立たねばならないと思うようになります。そしてどのような犠牲も厭わず、頼朝の遺産である武家政権を守っていく。結果的には、女性の強さを描いた作品にもなりました。
――主人公は北条政子。一貫して政子の視点で物語は進んでいきます。
伊東 『修羅の都』は頼朝と政子のふたりの視点で書きましたが、今回は政子の単独視点で、頼朝の死から承久の乱までを描いていきます。『修羅の都』では『吾妻鏡』の空白の4年間に自分なりの大胆な解釈を施しましたが、本作も最後に「あっ」と驚くような新解釈を用意しています。これは史実としても蓋然性が高いのではないかと思っていて、その裏付けの文書まで記しています(笑)。
――登場人物は多いですが、キャラクターが多彩ですね。中でも政子の人間味あふれる造形が印象的でした。
伊東 歴史小説では、主人公が「凄い人だった」「偉い人だった」となりがちですが、政子は判断ミスもすれば、感情的にもなります。それでも先の見えない中、彼女は様々な苦悩や葛藤の末に決断を下していく。時には誤った判断を下すこともありますが、それが等身大の人間というものではないでしょうか。
――鎌倉時代をひと言で表すと、どんな言葉になるでしょう。
伊東 「混沌」ですね。史上初めて武家政権を打ち立てた頼朝たちの苦労は、並大抵のものではありませんでした。京都の朝廷という伝統勢力と駆け引きを繰り広げつつ、最終的には承久の乱で武力によって朝廷を制圧することで武家政権は確立されるわけですが、そこに至るまでの権力闘争や愛憎劇は、「混沌」という言葉でしか言い表せません。その「混沌」を来年の大河ドラマ『鎌倉殿の13人』がいかに描いていくのか、私もとても楽しみです。
――鎌倉時代初期の魅力や面白さは、どんなところにありますか。
伊東 複雑な人間模様と権力闘争のすさまじさですね。鎌倉という狭い空間で、苛酷な権力闘争があり、人間の醜い感情が渦巻いています。鎌倉は地形的に密閉空間になっているだけに、息が詰まるような感覚があります。鎌倉は三方を山に囲まれており、南が海。逃げられない地形なので、敗れれば族滅という過酷な運命が待っています。比企氏や和田氏などはその典型例ですね。
――鎌倉時代の御家人は誰かが孤立したり、弱ったりすると、あたかも袋叩きにするように皆で攻めて滅ぼしますね。御家人たちの正義とか大義は、何なのでしょうか。
伊東 たしかに『吾妻鏡』で鎌倉武士の正義の象徴のように描かれる畠山重忠でさえ、北条時政から誰かの討伐命令が発せられると、諫めることもせず素直に従います。重忠は時政の娘を室に迎えているので諫めてよいにもかかわらず、です。和田義盛に至っては、調停機関でもある侍所別当にもかかわらず、積極的に弱った者を攻撃します。さらに三浦義村など、時政の走狗のような忠勤ぶりです。これには理由があり、誰かが滅べば分け前に与れるからです。戦国時代と違って農業生産性も低く、沼地ばかりで耕作地の少なかった当時、新恩で沼地を拝領して死ぬような思いで新田開発するより、誰かを滅ぼして、褒美としてその耕作地をもらった方が楽なんです。というのも天候不順で飢餓に陥ることが多かった当時、彼らは家人や農民を食べさせていかねばならなかったからです。
――当時の政権運営に特徴的なものとして、二代将軍頼家を補佐する「13人体制」がありますね。
伊東 「13人の宿老体制」とは、13人あるいは宿老の多くが一堂に会して何かを合議するものではなく、一人ないしは複数が、頼家に訴訟の取り次ぎを行う制度、というのが正しい解釈です。さらに詳しく言うと、これまで唱えられてきたような「宿老たちが頼家の決裁権を禁止した上で、政治を合議制で進めようとした」のではなく、「訴訟案件の取り次ぎを13人に限定した」体制です。つまりこの体制の創設が、頼家と宿老たちが対立するきっかけになったわけではないのです。年齢は73歳の三浦義澄を筆頭に50代と60代が多く、まさに宿老と呼ぶにふさわしい構成になっていました。しかし義時だけは、この制度がスタートした建久10年(1199)時点で37歳と格段に若いのが不思議です。義時を入れたのは、『吾妻鏡』の創作という説もあるくらいです。
――本作の読みどころはどこにありますか。
伊東 端的に言えば「政子の選択」ですね。『ソフィーの選択』という映画がありましたが、まさに本作は、ソフィーのように政子が究極の選択をしていく作品です。「何かを犠牲にしなければ、別の何かが犠牲になってしまう」というトレードオフなシチュエーションは、現代社会ではなかなかありませんが、昔はそうしたことがよくあったと思います。飢饉に襲われた農村の間引きとか、長男以外の兄弟姉妹に十分な食事を与えずに栄養失調で衰弱死させてしまう、といった状況ですね。つまり昔は、トリアージ――重要なものを選別して、優先順位をつけていかないと生き残れない苛酷な時代だったんです。政子も武士の府を守るために、トリアージしていくわけです。それがどのようなものか、ぜひ本作をお読み下さい。
――読者に伝えたいことは。
伊東 人というのは何かの使命を持って生まれてくるものだと、私は思っています。不幸にして乳幼児で死んでしまった子供たちも、親子愛や生命の大切さを両親に伝える役割を担っています。頼朝は武士の府を草創することが使命でした。政子と義時はそれを守り、次代に伝えていくことが使命でした。そして承久の乱によって、政子と義時は朝廷という不可侵の大敵を克服することで使命を達成します。そこから義時は迷走していきますが、政子はぶれません。本作では、そうした政子の素志を貫徹する強さを知り、一人でも多くの方にその生き方を参考にしていただきたいと思っています。
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