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呪いと自由――体にかかわるコンプレックスや執着が生む恐怖譚

呪いと自由――体にかかわるコンプレックスや執着が生む恐怖譚

文:朝宮 運河 (書評家)

『軀 KARADA』(乃南 アサ)

出典 : #文春文庫
ジャンル : #エンタメ・ミステリ

『軀 KARADA』(乃南 アサ)

 昨今の警察小説ブームの立役者となった『凍える牙』(一九九六年)や、前科持ち女性二人の交流を描いたヒューマンドラマ『いつか陽のあたる場所で』(二〇〇七年)、戦前の北海道を舞台にした感動巨編『地のはてから』(二〇一〇年)などの作品で知られる乃南アサは、ときに背筋の冷たくなるような怖い小説を書くことがある。

 怖い、といっても幽霊やモンスターが襲いかかってくるような、ホラー映画的怖さではない。日常に潜んでいる狂気や悪意が、先の読めないストーリーとともに、じわじわとあぶり出されてくる、そんな種類の怖さである。

 人には誰しもまっとうな社会生活を営むための“表の顔”のほかに、他人にはあまり知られたくはない“裏の顔”があるものだ。巧みなキャラクター造型をもとにした人間ドラマに定評ある乃南アサが、心のダークサイドに強い関心を示すのは、いわば当然のことだろう。家制度の闇をショッキングに描いた長編『暗鬼』(一九九三年)や、さまざまなサイコな愛のかたちを描いた短編集『夜離れ』(一九九八年)などの著作において、乃南アサはふとしたきっかけで表と裏のバランスを崩してしまう人間の危うさを、サスペンスフルな物語とともに描いてきた。

 一九九九年に単行本が刊行された本書『軀 KARADA』も、そんな著者のダークな想像力が炸裂した心理サスペンスの逸品である。「臍(へそ)」「血流」「つむじ」「尻」「顎」と人体のパーツを表題に掲げる五つの収録作は、体に関わるコンプレックスや執着――いうならば体にまつわる“呪い”を描いているという共通点があり、それぞれ独立した短編でありながら、連作短編のような統一感を備えている。

 神話やおとぎ話を例にあげるまでもなく、人が体に対して抱くさまざまな感情は、古来数多くの物語のテーマとなってきた(容貌の美醜や、体のサイズの大小に言及していない神話やおとぎ話を探す方が、むしろ難しいかもしれない)。

 本書はそんな普遍的なテーマを、現代的な装いを凝らし、誰にとっても他人ごとではない恐怖譚として語り直している。古典的な題材も実力派作家の手にかかれば、こんなにもリアルでおそろしい心理サスペンスに生まれ変わるのか、と初読時には舌を巻いたものだ。

 

 では本書で描かれているのはどんな“呪い”なのか。以下収録作について簡単な解説を加えていこう。物語の核心部分には触れないつもりだが、各話のあらすじを紹介することになるので未読の方はご注意いただきたい。

 巻頭作「臍」は美容整形を扱った物語だ。四十五歳の主人公・愛子は高校二年生の次女・未菜子から、臍の整形手術を受けたいと相談される。縦長の細い臍でなければ、臍出しの服が着られないから、というのがその理由だ。同意してくれなければ援助交際するしかないと口にする未菜子に根負けし、愛子は都心のクリニックに同行する。ところがカウンセリングを担当した医師から目尻の小皺について指摘され、愛子はショックを受けるのだった。

 若い頃は美人と言われていた愛子も、家事や育児に追われ、気がつけば「全身にたっぷりと脂肪を蓄えた中年女」になってしまった。その年齢相応の顔が、整形手術によって十歳は若返るというのだ。「家族の為だけに費やした時を、せめて、顔の上からだけでも消し去りたい」――。見合い結婚して以来、ひたすら夫を立てて生きてきた彼女は、娘たちの後押しもあって手術を受けることを決意する。

 実年齢よりも若く見られたい、というのはいつの世も変わらぬ願いだろう。貯金を切り崩し、アンチエイジングの手術をくり返す愛子の行為は、決しておかしなものとはいえない。しかし物語が進行するにつれて、本当に大丈夫だろうか、という不安が兆してくる。愛子が若く美しくなればなるほど、破局の予感が大きくなっていく。このあたりの静かなサスペンスの醸成が実にうまい。

 そして唐突に訪れるショッキングな幕切れ。あってもなくても構わないものを象徴する「臍」というタイトルを回収しながら、家族間のすれ違いを残酷に、奇妙なユーモアを漂わせながら描ききっている。

文春文庫
軀 KARADA
乃南アサ

定価:858円(税込)発売日:2021年12月07日

電子書籍
軀 KARADA
乃南アサ

発売日:2021年12月07日

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