本の話

読者と作家を結ぶリボンのようなウェブメディア

キーワードで探す 閉じる
『嫌われた監督』について語るときに鈴木忠平が語ること。 鈴木忠平ロング・インタビュー【前篇】

『嫌われた監督』について語るときに鈴木忠平が語ること。 鈴木忠平ロング・インタビュー【前篇】


ジャンル : #ノンフィクション

『嫌われた監督』(鈴木 忠平)

2

 サッカーを始めたのは私が小学校3年生の時だった。1987年、『キャプテン翼』が流行っていた頃だったと思う。

 幸い運動神経は良くて、地区の大会で優勝するなど、かなり活躍していた。

 高校は地元・名古屋の強豪校に入学した。Jリーグが開幕したちょうどその年、1993年のことだった。入学後は、真剣にJリーガーを目指しての、練習漬けの毎日が続いた。

 3年生になってキャプテンを任されるようになると、夏のインターハイに出場し、卒業後はJリーガーになる、それ以外のことは頭から締め出されていた。

 ほとんど勉強に向かおうとしない私を見かねた親からは、「夢の道と現実の道、両方を頭に入れておきなさい」と忠告を受けたが、生来が楽天家なのか、「なんとかなるだろう」と高を括っていた。

 ただ、私が通っていたのは、強豪校とは言っても県立高校で、冬の選手権の頃には、受験勉強のために3年生は引退しなければならなかったから、夏のインターハイが全国の舞台でプロにアピールするための、ほとんど唯一にして最後のチャンスだった。

 全国大会に出場する自信はもちろんあった。学校では「歴代最強チーム」と言われるくらい、前評判も高かった。

 結果は、愛知県大会ベスト8。準々決勝での、早々の敗退だった。

 全国大会に出場してプロになることしか考えていなかったから、その時点で、将来への道筋は宙に浮いてしまった。

 部活を引退した後は、燃え尽き症候群のようになって、受験勉強にもまるで身が入らなかった。強豪大学の受験も考えて赤本を取り寄せたが、問題を解いた記憶は残っていない。結局、受験科目が少なくて済む、地元の学校に進学した。

 大学でもサッカーは続けた。

 リーグの得点王になって活躍はしたが、東海大学リーグの、それも4部でのことで、Jリーガーになる夢は完全に捨て去っていた。大学1、2年生の頃は、将来を思い描くようなこともなく、毎日を過ごしていた。

 大学時代に印象に残っていることのひとつに、98年のフランスW杯がある。日本が初めて出場するワールドカップだ。プロになる夢は諦めていたが、サッカー観戦はやはり好きだった。アルバイトで貯めたお金を全てつぎ込んで、フランスへ飛んだ。

 試合はもちろんだが、スタジアムの外での出来事が特に思い出深い。

 試合前にスポーツ雑誌の記者にインタビューを受けた。質問自体は、「誰に期待してるの?」などという他愛のないものだったと思うが、印象的だったのは、私たちサポーターへのごく簡単なインタビューを終えた後、颯爽とスタジアムの中へ消えていった、その後ろ姿だった。世界が注目するスポーツ・イベントに、海外まで出張する。自分の目で、生で観戦して、それを記事にする。

 あれはちょうど大学3年生の夏のことで、就職活動が始まる季節だったから、記者という職業が将来の仕事として意識されたのかもしれない。

 同じ頃、新聞で大住良之さんが「サッカーの話をしよう」という連載を書いていたのも大きかった。これは『嫌われた監督』にも書いたことだが、とても面白いコラムだった。なかでもアルゼンチンはブエノスアイレスの、ある新聞記者について書かれた一篇は今でも覚えている。大学生の私は記事を切り抜き、ノートに張り付けては何度も何度も読み返したものだ。

 フットボール担当の新聞記者だった男は、三十路を迎えて仕事にマンネリを覚えている。そんなある日、彼はそれまで見たこともないような感動的な試合に遭遇する。ゲームが終わっても放心状態で、デスクからの原稿の催促にも「今は……書けません」と余韻に浸ったまま返事をする始末だ。

「原稿を書かないなら給料なしだ! クビだ!」

 そう言われても、記者は書かなかった。後日、彼は幸せそうな顔のまま、減俸を受け入れる。金にも、地位にも、名誉にも代えられない、こんな幸せな仕事が世の中にあるだろうか――。そんな内容だった。

 就職活動では、片端から新聞社を受けた。それらの中には、縁も所縁もない地方紙さえ含まれていた。フランスで出会った記者のように、あるいはブエノスアイレスの新聞記者のようになりたかった。次のW杯、2002年の日韓W杯では、自分の目で、生で、試合を観て記事を書くのだ、と。

 だが現実はそう甘いものではなく、大学4年生の冬を迎えても、希望する内定はひとつも手に出来ていなかった。不採用通知を受け取り続けて気分は落ち込んでいたが、それでも、就職浪人をすれば「なんとかなるだろう」と、やはり思っていた。新聞記者以外の道は見向きもしなかった。

 日刊スポーツの名古屋本社が新卒の募集を出したのは、その頃だった。

単行本
嫌われた監督 落合博満は中日をどう変えたのか
鈴木忠平

定価:2,090円(税込)発売日:2021年09月24日

電子書籍
嫌われた監督 落合博満は中日をどう変えたのか
鈴木忠平

発売日:2021年09月24日

ページの先頭へ戻る